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【NAKISURF誕生記念感謝特大号】_13年のありがとう!_(5139文字)

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メリークリスマス!

アメリカにいると、

多くの市民がそう感じているように

「今日、つまりクリスマス日は、
人生でとてつもないほど大きな日」

ということを思い知らされる。

そして、さまざまな歴史を知る。

私にとっては世界史そのものなので、

そのまま先住民の霊感というのを思い浮かべ、

さらには紀元前の世に想いを参じるのです。

Nation The Pink Champagne on Ice 7′ ish

Photo by Brian Miller

.

クリスマスは

イエス・キリストの誕生を祝うお祭りだと聞いた。

誕生を祝う日であって、

イエス・キリストの誕生日ではないともあった。

NAKISURFは今日が誕生日です。

Photo by Ryota Kaneko

.

13年前と少し前、

「(サンクレメンテの)シェイパーから直接サーフボードを販売しよう」
「プロサーファーが乗っていた中古ボード。プロ未使用ボード」
「サーフィンを正しくお伝えしたい」

そんなテーマとコンテンツでウエブページを作り始めました。

原稿の宛先はオーストラリアのアキちゃん。

アキちゃんは現在もNAKISURFの

エグゼグティブ・WEBマスターとして活躍してくれています。

誕生当時のお話としては

ー大変だったことはー

お店を構築するわけではなく、ウエブページです。

しかもYouTubeなどは普及すらしていない。

文章と写真だけでサーフボードの仕様はもちろんのこと、

開発のためのシンジツや裏話をしたためまして、

試乗記であります『インプレッション』を充実させつつ、

WEBコンテンツとしての体裁を整えていくわけです。

サーフボード1モデルを表現するためには数日要します。

シェイパーの紹介もきちんとしなければなりません。

試乗記ですから自分でも乗りに行かねばなりません。

Photo by Kaila Funaki

.

シェイプについてわからないといけないので、

シェイプベイに馳せ参じます。

すると、シェイプをしている音がする。

邪魔をしてはいけない。

なので、シェイプルームの外で、

iBook G3 Snowを足の上に置き、

他のコンテンツをパチパチ書き進める。

シェイプルームから出てくると、

質問をぶつけてまた書く。

シェイパーといってもアメリカ人です。

各人は確固とした技術も力学、造形力もある。

ですが、

「これがこうでこうなっていて、その理由は〜?」

と聞きましてもなかなか言葉になりません。

「サーフボードというものをそこまで紹介するのか!?」

そう驚かれたり、呆れられたり、そんな日々でした。

そして「年内にオープンしましょう。させましょう」

ディレクターとの約束があり、

それから私は1ヶ月とちょいの日々を

ほぼ仮眠のみで36日間乗り切りました。

Photo by U-ske

.

NAKISURFの誕生です。

記念すべき最初のお客さまは、

いまだにご連絡を取り合って、

NAKISURFファミリーとして思想を共有しています。

NAKISURFが始まる1年前に

サンクレメンテからノースハワイに越しました。

ものすごい波で、

自分を再構築といえば聞こえがいいのですが、

サーフィンを「やり直し」始めたところで、

さらにはキャッチサーフがサンクレメンテで誕生し、

NAKISURFの初期コンテンツのひとつとなっていきました。

そんな中、

こんな美しい風景に出会い、

さらにはこんな美しい波も知りました。

ハワイで生まれ育ったカイル鞠黒。

友人と波に乗る楽しさを知り、

子どもたちと楽しく乗る幸せを発見しました。

ハワイアンスタイルは、

オーシャンマンという基礎があり、

そのためにはたくさん泳げなくてはなりません。

ノースハワイの酋長の息子が、

島の南西部を取り仕切っているのですが、

彼は、

「リーシュをしないのならどこでサーフしても良い」

そんなことを言いました。

日本と真逆です。

リーシュがないと、

お分かりのようにワイプアウトすると一大事です。

ボードは岩に激突するかもしれませんし、

よしんばチャンネルに流れると、

今度は海流プラス貿易風で、

私が泳ぐよりも速く流れていきます。

ただ、

全力で泳ぐとその距離は縮まるのですが、

オリンピック選手ではないので、

長時間全力で泳げません。

ボードを追尾して数時間も泳いだことがあります。

そんなオーシャンマンばかりの海は空いていました。

なぜならそんな無常なルールがあったからです。

そんな真のサーフィンを通過して、

Photo by Tony Roberts

.

サーフィンを追い求め、

昨年の今はコスタリカに行き、

エンドレスサマーを撮影した場所に陣取り、

レンタカーなしで1か月滞在し、

信じられないほどのビーチブレイクを発見しました。

スケールといい、

波の合わさり方といい、世界クラス3つ星です。

そして四国。

この旅では、

亡くなってしまった石田さんが一緒に来られているようで、

ポイくんやマナブくん、

森ヤンというさまざまな邂逅や不思議がありました。

さらにはベンチュラセイジの生誕の地ということで、

みなさんにはこの上なく良くしていただきました。

そして海部のレキくんに勧められて、

室戸岬に行きまして、

次の満月に出たのがブルードラゴン。

しかもここはウナクネ会長由来のビーチハウスでして、

ちょうど青龍寺の裏手にあたる地形で、

そこから沸いてきた竜に驚きました。

空海由来で私は一気に歴史に、

そして四国に傾倒しました。

話が逸れました。

子どもたちと波に乗るヨロコビは今も引き継がれ、

現在私の弟子はラカ太郎くんと、この二郎くんです。

「なんだ、かんたんだなと思いました!」

二郎くんのかんたん打法で、

私の悩みが解決していっています。

ありがとう。

そしてNAKISURFのフロントは、

純粋、真剣、正義と、

しんの優しさを持ち合わせるハギウダとナカガワです。

そしてふたりは現在フィッシュ中毒なので、

私は次なる章であるミッドレングスの魔力を伝えようともしています。

フィンレスのふたり。

仕事も一緒、

波乗りも一緒。

そして乗る波も一緒というほど仲が良い二人。

前出したアキちゃんとアスカさんがいて、

ナッキーがお手伝いして現在のNAKISURFが構築されています。

NAKISURFを支えた亮太くんと、その奥さんの香ちゃん。

さらにここは千葉公平さんが愛した場所です。

IMG_3683

千葉公平さんに引き合わせてくれた中村竜さんのお父さん。

そして、今ドラゴンブームが来ていますが、

それも彼の思し召しだと思うのです。

竜から蓮となり、

思想はハスに舞い降りています。

その蓮思想をまとったのは、

ウナクネ法王となるラカ38世。

彼の穏やかなハッピーサーフ思想に私たちは寄り沿います。

楽しく、幸せにみんな仲良く。

話をノースハワイに戻しますと、

こんな日に独りサーフする毎日が続いていました。

Photo by Bryce Johnson

.

好きなボードで、好きなように。

誰も見ていませんから、

水着などもいらないのですが、

時折船が通ったり、たまに釣り師とか、

果てしないほどの距離を歩いてくる老人夫婦とかがやってくるので、

きちんと身に付けてサーフしていました。(笑)

さてさて、そんな楽園も海ですから荒れます。

こういう日がやってきます。

やはり無人だったりもします。

文字通り「決死で乗る」わけですが、

時には、

「無常」という言葉の意味まで悟らされます。

そんな無常観の中で旅に出て、

呼吸して、新しい友人を育み、

上記したように空海由来で日本の歴史に興味が出て、

日本書紀などを読みはじめました。

個展もやりました。

これは日本記者クラブ内での栄えある展示ということで、

亡くなった両親にこの運びを見せたかった。

いや、見たことでしょうきっと。

私は元々ショートボードのプロで、

修行を兼ねてやってきていたハワイとカリフォルニア。

1980年代のことです。

1990年となると、

当時はバドツアーというPSAA主宰のプロサーキットがありました。

そんなプロツアーにも出場しました。

ハンティントン、

オーシャンサイド、

サンディエゴのミッションビーチ戦。

Christian Fletcher on

Tyler Warren’s Tracker 6’4″

.

圧巻だったのは、

クリスチャン・フレッチャーがローワーズ戦で優勝して、

当時の賞金最高額

(高級車が軽く買えるほど)を受け取ったことでしょう。

彼のハイスコアは全てエアリアルでした。

プロサーキットはここから変わったという見聞録。

私はそんな中、

クリスチャン・ワックと知り合い、

「(サーフボードの)サイズを問わないサーフィングとは」

そんな問いかけがあり、

私は重いシングルフィンを会得するべく、

毎日乗り込んだ。

大きな日も小波もこれで。

そして強く、

恐ろしいほど速いターンが存在するという感覚を得た。

フィンレスもやりました。

自由な飛翔感覚。

悲鳴を上げそうなほど速い降下速度。

全てがジェット機を操縦するほどの衝撃でした。

バリのシークレットも発見しました。

これはドリームフィッシュという名作がありまして、

これを6’7″まで引き延ばしたものをタイラー・ウォーレンに作ってもらいました。

タイラーのことを今昔物語風にしますと、

.

今昔、聖斧振に一人の人有り。
歳廿に至て、始て波乗道を発して、
御前(ハービー・フレッチャー→テリー・マーティン故人)に詣て、
出家して、御弟子と成れり。

タイラー・ウォーレンでクリスチャン・ワックから続く

“Surfboards in all sizes”は結実し、

サーフボードシェイプは、

サーフボード博士でおなじみのライアン・イングルで、

自分の持ちうる質問群は全て帰結した。

ショートボードからログまで。

宣伝など一切していないNATION MFG.。

サーフボード博士の渾身シェイプ。

バリにも2か月間旅に出ようと行ったのだが、

あまりの混雑ぶりに半分に予定変更。

けれど、

「1971年のウルワツ」

私にはそんな掲げられたテーゼ、つまり命題がありました。

そこで、

ウルワツ波にキャッチサーフのスキッパーフィッシュで入り、

1971年、

全員がそうしていたようにノーリーシュで入り、

「流したらパダンパダンまで泳ぐ」と、

そんな決意が身を結び、

無傷で戻りここでも自分なりに決着が付きました。

壱岐で知り合った頃から友人だった気がする高間教授とバリで再会し、

珍妙な雰囲気の海岸でかけがえのない波も得ました。

これもキャッチサーフでした。

NAKISURFはオルナタティブ寄りと、

ログボード、大波ガンの評判からECこと、

エリック・クリステンソンのオーナーシェイプ

『ECサーフボード』の販売を開始しました。

Eric Christenson 2018

.

彼のサーフボードの乗り味は、

まるで大きな羽根のペリカンのように柔らかく、

そして力強く波の中を飛び、

感覚をたどると、

それは夕焼けに霞む水平線のようでもある。

ご縁があるようで、

中米エルサルバドル旅に同行したシェーン・ドリアンとも新島で再会し、

「サーファーのあり方」

そんな方術を教えてもらい、

私たちの始皇帝ハービー・フレッチャーに、

ウナクネ老師横山泰介さんをお引き合わせたり、

三蔵瀧朗の計らいで、

始皇帝と日本を満喫した。

奇しくも

私のメインビジュアルを使用し続けてくれたグリーンルームフェスティバルでした。

そしてドノバン。

カリフォルニアで知り合って以来、

日本ツアーも一緒に廻り、

NAKISURF原宿のオープン記念にと、

シークレットライブを開催してくれたり。

こんなショットも得た。

ビームスジャパンさんで個展をさせていただいたり、

オーシャンズ誌ではノースハワイに取材に行きました。

もう走馬燈みたくなってきたので、

そろそろ終えなくては。

ソフトサンドでのキャンプ。

これは10日間にも渡りました。

そして「つまり」は、

DFW=全て最高ということに帰結しました。

そのDFW思想のバリー・マッギー師匠個展。

@サンタバーバラ

【テクニック思想編】[必読]新サーフィン時代到来記念!_DFWフィンレスで無尽蔵のエネルギーを得た日_(1656文字)

完全にはまとめられず、

あの人もこの人も、

あのこともこれもと書いていたら、

多分2〜3日かかりそうなので、

この項はひとまずここまでとし、

巻き上げさせていただきます。

ということで、

今日からNAKISURFは14年目に入りました。

前出したタイラーがロゴを描いてくれました。

さらには『ライフスタイル・ストア』とも掲げてくれました。

さらに超が付くほどのデザイナーのニックさまから、

こんなドリームライドのデザインを賜り、

この新しい羽根でさらに羽ばたきます。

思想も商品、製品を含めて、

これからも末永くご愛顧賜りますようお願い申し上げます。

NAKISURF主宰

NAKI

船木 三秀

Happy Surfing!!


【新春スペシャル】神奈川県鎌倉市七里ヶ浜図_(2150文字)

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相州鎌倉七里浜図

寛政八年 (江戸時代、1796)

司馬江漢(しばこうかん)

.

これを平塚のピースマンギャラリーで見て、

それを中村豪くんに転送した。

すると、

「うわ、葉山だ!」

そんなメッセージが届いた。

「でも七里浜図とあるよ」

「富士山が江の島のこっちにあるのは長者岬ですよ」

「本当だね」

そんなやり取りをした。

223年前の七里ヶ浜。

江の島のこちら側に富士山が見えるということは、

昔はここはとても広い砂浜で、

というより波打ち際が沖側にせりだしていたのだろうか。

それとも司馬江漢がスケッチでサバを読んだか。(笑)

中国の人は世界でも類を見ないほど記録に長けていると、

夢枕獏さんが書いていたが、私も同感であります。

ということで、

223年前は、

七里ヶ浜の波打ち際は沖側にせり出していて、

海に迫る山も同様で、地震だったり、

大波髙波で削られて、

現在の位置まで後退してしまったのだと断定してみた。

現在私の視界というか、

サーフィン研究所からの富士山。

ラカ法王とサーフしているとサバ手が多くなるのだが、

この日もトリム+サバ手で推進力を増して、

高速滑走を楽しんだ。

(サバ手については巻末注釈リンク*1を参照ください)

そこでわかったのは、

サバ手は富士山の形をしていたということで、

これからはフジ手と言うべきか、

呼ぶべきか否かを今週のウナクネ放談で

題目のひとつとしてみようと思った。

二郎くんなら「思いました」だろうか。

(二郎くんについては巻末注釈リンク*2です〜)

昨日のフリーマーケット。

なつかしの土井さんと一緒に廻って、

いろいろを得た。(詳しくは後日)

(土井さんのポストは巻末注釈リンク*3に)

感じたのが、

この鎌倉を湘南を愛する人が30年前よりさらに増えて、

それがすばらしいコミュニティになっているということ。

昔ももちろん同様のものがあったのだけど、

今はより多くの意識を持った人や知識人たちが集い、

文化を練り上げるようにして、

いわゆる高みに持っていっていることがわかった。

みなさんは波にもどん欲で、

そのフリーマーケットの終了時に、

駐車場前、

昔は正面(D先輩はマサモ)と言ったのだが、

そこに1本だけブレイクした波が来た。

きっと沖でオンショアが吹いていて、

陸のオフショアに整えられてやってきた奇跡の膝波1本。

だが、多くの人がその波に反応し、

ウエットスーツに着替える人だったり、

突然サーフィンするモードに入ったり、

時間がないとあきらめたりと悲喜こもごもだが、

ここではたった膝サイズ波が、

これほどまでの価値を持つということに驚かされた。

千葉では毎日ある。

カリフォルニアでもハワイでも膝サイズならば、

一年で364日はある。

自分がそうであった。

フラットは当然です。

湘南は波がありませんからね。

はい、パドリングの練習しましょう。

パルバル行って泳ぎましょう。

明日は気圧の谷が通過します。

腰くらいあるかも。

興奮して眠れません。

そんな毎日だった。

遠征で千葉や静岡に行くと、

見る波が輝いていたのを覚えている。

オンショアでも干潮でも、

もちろん満潮バックウオッシュでも。

地元の人はこんな波だよと言うが、

もう胸くらいあるのなら、

ボクは波も文句言いません。

1日中サーフしますという具合だったことも。

サーフィン研究所の上にパスタ研究所があって、

そこからの眺めがMeraviglioso(メラヴィリオーゾ)ですよ、

土井さんはぼそっとおっしゃった。

研究所から研究所までの移動は、

お墓の上の細く長い階段だった。

夢枕さんあたりなら、

このお墓と古民家を舞台に妖しい物語を書きそうだと思いながら、

切った石を積み上げた階段をえしえしと登った。

“えしえし”と書くのは、

決して椎名誠さんを読んだということではなく、

まさにそんな風に登ったからであります。

その研究所謹製の、

ウナクネ風のパスタとアサリ。

トマトソースだからロッソだ。

でも味はアラビアータ(all’arrabiata)だねと、

イタリアに詳しい土井さんが言う。

まあまあおいしい、

ショートパスタの食感と、アサリのそれが似ていて、

けれど微妙に、絶妙に違うのがすばらしかった。

けれど、サービスが凡庸。

場所とフードだけで勝負していて、

後は全て普通、

ギリギリなのが惜しいと話していた。

そうしないと、

今でも大混雑だからさらに混んでしまうことでありましょうと推測した。

けれど、もしここで全てに満点のイタリアンを供したら、

それは世界的にも忘れられない一皿となって、

末代までその人気を博するだろうということも。

とにかく、

この研究所は誇る風景はPerfetto(ペルフェット=完璧)であり、

土井さんの白ワインが進むにつれそれは、

Magnifico(マニフィーコ)だと弾け、

さらにはSplendido(スプレンディード=壮大、豪華、絢爛)だと、

すばらしい言葉の連結を見た午後でした。

研究所下にやってきた江ノ電。

パスタを研究したく、

サービスを気にしない人ならば、

この写真を目安に階段を登ってみてください。

七里ヶ浜駅から江の島側に250mくらい歩けばここです。

【巻末注釈リンク*1:サバ手とは?】

【巻末注釈リンク*2:二郎くんとは?】

【二郎のハッピーサーフィン日記】プレクリスマスセッション・ヘバラ編_(3393文字)

【巻末注釈リンク*3:土井さん】

“MANY LIVES, MANY MASTERS”_REPLAY!_土井さん_白フェラーリの林編集長_Blue誌編集部_ショールーム少し_マグマワックス2_荒浜わさびに京都慕情の短編です

Happy Surfing!!

【新春スペシャル最後の特大号】サーフィン研究所_長い追記みたいな記録_(3744文字)

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View of Surfing Institute, Kamakura Japan

.

青龍寺、

そして奄美大島龍郷町、

そんなご縁がつながってサーフィン研究所にやってきた。

奇しくも自分が波乗りを始めた場所であります。

ここではうねりの向き、

うねりの到達、

そして消滅が文字通り見て取れた。

通称「研究所」と呼ばれていたので、

英語にするときはinstituteなのか、

laboratory、またはresearch centerで迷った。

けれど、

自分の耳に慣れたインシティチュートを採った。

けれど、

呼び方は何語でも、

または大根だろうが卓球場だと、

どの単語を選択しようとも、

私たちにとって真意は変わらない場所だった。

サーフィンは深い。

8日前、

1月7日にこのブログを書いているソフトウエアに不具合が出た。

それは”写真が投稿できない”というものだった。

そのときは不具合が出る寸前に投稿した写真を使い、

いろいろと四苦八苦すると、

動画は投稿なら可能だとつきとめて、

8日にはそれでしのいで、

それから5日後にオーストラリアのあきちゃんが、

この問題を解決するまでの画像がフォルダーに残っていた。

苦し紛れに動画ブログとして、

8日に使用した後、

どうしたら良いかがわからなかった。

一番良いのは、

さっぱりすっきりそのまま使わないことなんだろうけど、

せっかくブログに使おうとしてフォルダーに入れた作品でもある。

自分の記録用にも使用したい、

しようと考えての本日投稿とします。

長くなりますので、

お忙しい方はここまでとして、

明日またここでお会いできたら幸いです。

今日は15日、松の内も終わりです。

あけましておめでとうございます。

このブログを読んでくださっている人は、

昨日お会いした11年間毎日というNさん、

そして私がノースハワイに行ってからというEさん。

最近読み始めてくれた人もいて、

7歳児も読んでくれていると教えてくれました。

漢字(かんじ)が多くてごめんなさい。

でも、読んでくれてありがとうございます。

本年もよろしくお願いします。

【ここからはおまけです:7日からの画像。順不同】

Photo by Tuna Tantei

.

これは動画『千葉超小波編』の番外編。

この堤防脇に沖に出る流れがあって、

そこをパイプラインにゲッティングアウトするつもり、

つまり全力で腕の動きに集中し、

呼吸も同じようにしてパドルアウトしていった自分が映っている。

キャッチサーフ76

(セブンシックス・バリー・マッギー)プランクだったので、

激速視界と心拍数が高まるのは、

冬の運動として昇華できるものだとわかった。

愛弟子ジロータロー。

師弟の最近の合い言葉は、

「キャッチサーフでかんたんです」

藤沢大新。

私が8ホテルのフーディガイドで、

この大新を取り上げ、

『担々麺の詩』というのを書いた。

詳しくは巻末注釈リンク*1にあるが、

その内容はこれ。

ああ、心に残る胡麻の風味よ
四川、いや水滸伝の英傑たちよ
その熱いネギと挽肉と辛味と円み
極細麺が私に微笑みかけてくる
絶妙なる風味をそらに漂わせてくれ
私の愛にこたえてくれ
私がお酢を入れるのを許してくれ

時代は担々麺後となり、

食後カルディ藤沢南口店となりました。

コーヒーワンカップ用のドリップフィルターだけがあり、

「君はかなり天才的な便利グッズだ」

このフィルターを誉め称えた。

2019新春ブレンド。

大好きなブラータチーズ。

これにおいしいオリーブオイルをかけて、

さらには挽き立ての黒胡椒。

ああ。

また詩が書けそう。(笑)

カルデイここまで。

8ホテル横の駐車場で、

サバサバナンバーを見たのでパシャリ。

アメリカはSUVが高級となり、

日本はバンが高級の主流だとわかった。

次は鎌倉駅にある農協連野菜即売所へ。

ここには、

フレンチの名店シェフが毎日訪れて、

野菜の目利きをしていることを知った。

地道な努力&鎌倉野菜でございます。

私のお薦めは毎週水曜日(たぶん)に

出店されている加藤農園さんの逸品群。

こんな美しい鎌倉野菜がこの値段。

ピッチピチの冬野菜。

加藤さんの野菜は世界一だと思う。

ウナクネ会館に招かれた際、

これら加藤さん野菜を使ってフレンチ風スープを作成。

鶏だしとバターが決め手でした。

本当に野菜の旨味が浮き出た絶品。

メインディッシュは『白桃ビーフ』。

これは第一作目の実験メニューの際、

あまりの美味しさに、

法王と一緒に膝が震えてしまった。

次に味をしめて河合会長夫妻の晩餐で再制作してみたところ、

2回目は膝だけではなく、

身体が震えるほどおいしいものであった。

見てくれは悪いが、

ここに鋭意強制掲載しました。

(材料、薄切り牛肉、白桃、塩胡椒、白だし)

ウナクネ会館を改装しようと、

法王と一緒にIKEAに行く。

法王は前身がラッコであり、その前がサバである。

なので、

そのラッコ時代が偲ばれるシープスキンにうっとりした瞬間でありました。

イケアでレストランに行くと、

値段もさることながら、

あまり見ないメニューに感動し、

さらには逆上してお皿を取りすぎた典型となった。

けれど、三人でこれらを全てペロリ食べたのだから、

これで良かったようだ。

一番向こうはグラバラックス(スモークサーモン)です。

(日本店にはカレーがありました。アメリカにはありません)

研究所前。

こうして波が崩れているときは、

かなり沖からセット波を見極めるという鍛錬をしていた。

それはセット内のどの波が一番良いのかを推測し、

さらにそれが、

実際に自分がいると仮定したリーフまで、

そのターゲットうねりがやってくるかどうかまでを確かめていた。

松風王国に新年のご挨拶に伺い、

まずは王国食堂とされる

『花水ラオシャン本店』に行く。

大好きなタンメンを注文し、

U-Skeさんの仲間でもある大将がお達者であること、

キッチンが平和であることを知った。

新メニューとして

『湘南ソーキ』というのがあり、

これを注文したかったのだが、

夜だけのメニューで、

「1杯やりながらぜひ」

そんなことを大将に言われ、

松風王国に泊ることを想像したら、

国王たちのお顔が浮かびうれしくなった。

奄美のパンダネコと同じ、

人について散歩するネコ『ロミ』のことも。

(詳しくは巻末注釈リンク*2に)

主題はタンメンであるが、

本当においしく、

そして全てが健勝であることを知ったイチ麺でありました。

食通の京都のラッコ旦那のことを想う。

U-Skeさん渾身の

『平成北斎』作品を余韻にピースマンギャラリーに行くと、

アサイーで知られるサンバゾン大友さん、

そして仙台の伝説リッパー越後将平くんがいた。

ピースマン(ギャラリー)のゆうこちゃんが、

私たちを撮ってくれました。

松風王子U-Skeさんもご健勝でありました。

めでたしめでたし。

『怪物くん』のことは、

ツナくんのオオカミ男として先日書いたが、

ここにあったのが怪物くん帽子+タケコプター。

ピースマンでの名物は、

ハワイスタイルのドリップコーヒー。

焙煎したての豆を挽いて、

膨らませながら淹れる琥珀色の液体がおいしいのです。

みなさんとTシャツやアート話で盛り上がり、

友人からの画像に和み、

サバ手バイカー法王登場。

「これをフジ手とも言います」

とは昨日のブログに。

中村豪さん家族と食事をしたときに、

豪さんの大盛り度に驚いた。

私もご飯大好きです。

隣は雫のしーちゃん。

二郎のほっぺたを完全再現していますね。

ヘアカリフォルニアに新春カットに行き、

発売直後に完売してしまった

『タイラー・ウォーレンX今治タオル』

をカルちゃんにお届けました。

(詳しくは巻末注釈リンク*3に)

ありがとうございました。

そのままJRに乗って、

次の駅である辻堂に行き、

テラスモールでこんな屋久島の逸品だったり、

銚子の逸品を発見した。

もちろんカルディにも。

こんなキーフォルダーが欲しくなったり、

なんと、

エウレカというカメラを発見した。

これは前田博士&私の傑作中の傑作エウレカと同名です。

こんなむくむく系のぬいぐるみが好きなので、

撮って同嗜好の数人にSMSで送る。

これはベンチュラセイジに。

前出した中村しーちゃんなどが履きそうである。

燻製だなんていいなぁ。

しかも自宅で。

横山泰介さんの師、

ブルース・オズボーンさんの作品が展示されていて、

その作風は遠くからでもわかった。

シギーG=ミッフィー。

そのくらいミッフィーが好きなようである。

夕陽頃だと、

屋上に上がると、

それは見事な富士山があった。

土井さんと再会したことは昨日やその他の日に書いた。

すると、

土井さんの親友であるMTのサインが飾られていて、

思わず撮った。

MTには私もお世話になりました。

(ガッチャとMCD=ラグーナビーチ)

特別割引で1100円という映画日だったので、

『ラルフ』を見た。

邦題は『シュガーラッシュ』。

なかなかおもしろかったです。

で、サーフィン研究所に戻ってきました。

もうすぐ雨だという。

Stay Dry!

【巻末注釈リンク*1:フーディガイド大新号】

https://ameblo.jp/8hotel-foodie/entry-12347648063.html

【巻末注釈リンク*2:奄美の散歩猫パンダのこと】

【平成天皇誕生日特大号】日本書紀黒白猫_(4103文字)

【巻末注釈リンク*3:完売のお知らせ】

【ご連絡】さよならカレンダー初版&タイラー・ウォーレン&今治タオルB&W_(1458文字)

Happy Surfing!!

500円奄美_クリスチャン・フレッチャーと緑くん_サーフしてタコの口_奄美の桜_(2019文字)

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Tyler Warren Big Dream Fish 6’5″

.

The Dragon Cape

.

こちら奄美サーフィン研究所。

この写真を取った後、大雨が降ってきた。

昨日の1980年代の回顧ブログだが、

シゲルさんと土井さんが「涙が出ました」と感想を寄せてくれて、

他にもRさんと、Tさん、

そしてKさんにも「感動しました」

というようなメッセージをいただいた。

私もあの時代に熱くサーフしていたので、

お気持ちわかります。

さて、バリに旅立っていった

NAKISURF千葉のスタッフのナカガワとハギウダ。

研修を兼ねてたくさんサーフして、

さらなる境地を掴んでいただきたいと、

「真のサーフィンを」感じていただきたいと、

奄美サーフィン研究所から願っている。

さて、こちら奄美大島。

バックドアやアマミアンパイプラインは、

この森を抜けて海に出るわけだが、

とても奄美らしい風景が拡がっているので好きな場所のひとつだ。

2月となると、

みんなが旅を始めるのは、

どうやら航空券が安いのが大きな理由らしい。

先日は「奄美まで片道500円で来ました」

そんな女性がひとりグリーンヒルに泊まっていて、

聞いてみると、

バニラエアの特売でそんなことになったらしい。

「けしからん」

それを聞いたメガネの人が憤慨していたけど、

それはきっと奄美にやってくる価値が下がるからなのかと感じた。

さて、それとは別に緑くんが上京している。

インタースタイル横浜と、

大井町のウエーブプールに行くという。

私がこちらで、

彼があちらとはなんだかおもしろい。

さらにインタースタイルには、

クリスチャン・フレッチャーが来ていて、

到着後すぐにヘア・カリフォルニアで新作ヘアカットを施されていた。

この後、

緑くんからのSMSで

「クリスチャン・フレッチャーいました」

「奄美は最高よ〜って言って連れてきてね」

「前に何度かあったことあって、覚えててくれてました」

「クリスチャンは記憶力が異常にいいんだよ」

「そうなんですね」

こちらはバリの高間教授。

世界的に有名な「コツコツ理論」を完成させた人です。

彼は、

「モロチンに新しいブレイクを発見しました!!」

そんな感嘆符二つの文字と共に、

この笑顔の写真が送られてきた。

このモロチンというのは、

かなり質の良い波が無人だったそうで、

バリから飛行機で短時間、

つまり成田から奄美程度の場所にあるらしい。

いつか行きたい場所のひとつとなった。

こちらはまた回想編ですが、千葉のもの。

私たちは、

ラカ太郎くんと二郎くん、

父ちゃん母ちゃん、

そしてバリの山崎さんたちと波を探していました。

二郎くんは38kgもあるけど、まだ肩車ができました。

本人大喜び。

二郎くんファンの方ならご存じでしょうが、

彼が真剣になると「タコの口」になります。

このタコの口は、

『柔道部物語©小林まこと』

から続く伝統の系譜である。

この絵を見て、

このマンガの舞台となった岬商業高校柔道部の挨拶

「ザス、サイ、サッ!」

そんなことを思いだしていた。

「どんな強い選手も弱くする」

そんな天才五十嵐先生の指導風景。

「柔道部物語」は、

私にとってマンガの名作トップ10に入る名作であります。

またいつか読みたい。

パンダの待ち伏せにあった。

この後くっついてきたのはここに書くまでもない。

(巻末リンクをどうぞご覧になってください)

話が逸れた。

この撮影時、

カメラの前で

「シャボン玉おじさん」がやってきたそうで、

バブルの前ボケという幻想的なショットを得た。

こちらはラカ太郎。

バリーマッギー師匠の76に乗ってのフリーライド。

ゆるやかな風のように波に乗っていった。

子どもと一緒にサーフするのは楽しい。

自分がこの歳でサーフできなかった分、

ラカ太郎くんや二郎くんに想いを馳せているのかもしれない。

Catch Surf Odysea® Plank 8’0″

.

テイクオフの際は、

波と同体とし、

立ち上がると後方加重とするのは、

フィンを支点とする動きだからだ。

さもすると宙に飛び立つような心持ちとなり、

さらには浮き立つような視線が、

飛び立つことを暗示するのは、

サーフィンを始めた日の感覚そのままであった。

二郎くんは、

まだテイクオフの際に左右どちらかにネジレてしまっていて、

そのおかげで波に乗る難易度を上げているのだけど、

こうしてテイクオフの際は波に対してフラットにしてあげると、

「かんたんに」波に乗れるようになる。

桜が咲いていて、

植物博士のベンチュラセイジに聞いてみると、

「これは緋寒桜(ひかんざくら)です。

ソメイヨシノは淡いピンクですが、

緋寒桜は濃い色をしています。

花弁を下にして咲くのが特徴です」

そんな南の桜のおかげで街道沿いは春色であります。

最近、

こうして花のことが気になるようになった。

加齢するのも悪くはないな、

そんなことを感じていた。

Happy Surfing!!

【巻末注釈リンク:パンダはなぜ待ち伏せするのか?】

【平成天皇誕生日特大号】日本書紀黒白猫_(4103文字)

【サーフィン研究所:テクニック編】奄美と伊豆の積み残し_千葉のバリー・マッギー_ほぼフライング・テイクオフ@ワリイシ_(3258文字)

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「奄美のことが積み残されているな」

「あの日のバックドアですか?」

Backdoor, Amami Oshima

Catch Surf ®ODYSEA Skipper Fish x Taj Barrow Pro 6’0″

.

「VBも書ききれていないよ」

友人(先輩)であり、

親愛なる読者からこんな指摘を受けた。

VBの興奮のこと、

あの波魔獣のことは、

私の細胞からもはや血肉となった。

(巻末リンクを)

感じた絶大なるスリル、

ふわりと飛び立ったこと、

それらの刹那の瞬間がいまだ焼き付いている。

さて、千葉。

波高180cmと、

うねりはあるのだが、

風も同じ向きで来ていた。

南東風である。

リュウタくんがやってきて、

グライダーをいただいた。

なんでもNAKISURFカレンダーの調子が良いらしく、

そのお礼であるという。

それなら来年版をもっともっとお楽しみに、

そんなことも伝えた。

待てないので、7月から出そうかな。(笑)

NAKISURFナカガワとハギウダたちが、

バリの追憶セッションをしているようで、

一ノ宮メインピークスにいた。

風も強くなり、

いくつかのプロジェクトもあるので、

他のことをしていた。

すると、

8時間後、

タキビシからsmsがあって、

「オフショア、波もパーフェクトでございます」

そんな信じがたいメッセージがあった。

証拠写真まで付いていたので、

目を入れてみると、

かなり良い波でありました。

ただ大混雑。

でも行ってみよう。

なぜなら無人ピークを探すのが好きだからであります。

日没頃に現地到着。

アトランティック・コーヒーのヨッシーこと、

吉川くんが今年モデルのDFWで乗っていたようだ。

サンプルは見たが、

製品版を初めて見た。

すごい。

バリー・マッギー師匠の夢ボードであります。

瀧朗は今、

そのバリー師匠とブラッドフォード(元ペソズ)を日本に招聘しようとしている。

(巻末リンクをご覧ください〜)

いわばプロモーターであります。

調子のほどを聞いてみると、

「とてもすばらしいです。7フィートモデルが好きになりました」

「7フィートモデルは伝説だよ。JOBも俺も大好きさ」

そんなやり取りをしていると、

「これ、乗ります?」

「え、いいの?」

「もちろんです」

そんなことになった。

ヨッシーはすばらしい。

(ちょうど乗ろうとしていたバリマギ師匠76があり、

手前が今年版の奇跡7フィートバリマギ師匠クアッド。

天才であります。

『たんてい入門を読むんだ』

と父が息子に伝えていた。

あまり意味がわからないので、

きっと違う言葉を私がそう聞き間違えたのだろう。

でも語感が良い。

ウナクネ派大賛成です。

けれど、

お借りしたバリマギ師匠クアッド7は、

ワックスがあまり塗られておらず、

これをヨッシーに紹介する千載一遇のチャンスだとばかりに、

声高に『私の滑らないメソッド』を紹介すると、

ヨッシーの耳に入らない。

それがわかったので、

「え、もしかすると滑るのが好きなの?」

「その中間です」

さすがヨッシー、

サーフィンをさらにミステリアスにさせている先駆者。

けれど、

私もキャッチサーフ以外でペタペタ系は苦手だし、

やはりスタンスをさっと動かせて、

掴んでも滑らないのがいいなぁ。

パドルアウトしようとすると、

砂浜に岬ができていた。

深浅があり、流れができている。

漁師の網が岬上に浜に突き出ている。

「吉田リーフ」だった。

これは先日、

一ノ宮町の町長マブセさんたちと

『一ノ宮町サーフィンの未来』

についてアイディアをお伝えしたとき、

みなさんが吉田さんのことを存じていた。

「護岸でなく、養浜であります」

「波が良ければ町民、観光客は集まります」

そんな充ち満ちとした話ができて席を立った。

海。

吉田リーフの作りを惚れ惚れと見ていると、

リーフを司っている網群の根本の脇に立っている方がいて、

そのお帽子の具合から吉田さんだと直感した。

手を挙げてみると、

あちらも右手を上げた。

近寄っていくと、

やはり吉田さんで、

このシステムを誉め称え、

昨日蛸さんにお会いしたともお伝えした。

吉田さんはていねいに沖へのパドルアウトの仕方を伝授してくださって、

それはまるで入り組んだリーフブレイクへのルートと同一で、

そんなことからもこの吉田リーフのすさまじさを思い知らされたのであります。

沖でタキビシと合流、

そしてトモくんとも会った。

彼はここで生まれ育った人なので、

「ここにさ、バズーカという名前が付いたことはないの?」

そう聞くと、

「あの音ですね」

そう言うと、

波が堤防にぶち当たり、

バズーカ砲の発射音のようにドガンと聞こえるのあった。

佐藤千尋くんとふたりの子どもが一緒にサーフしていて、

そして多くの笑顔で波に乗る子どもたちを見た。

FAROの人にも会ったし、前田博士にも会えた。

ヨッシーも戻ってきた。

竜の夕陽を見て、

次の波で上がって写真を撮ろうと決めたら、

その日一番の波がやってきた。

トモくんの言うところの

「パンパンに張っている」波であった。

ピークの奥から7フィートボードなので、

無人のうねり線を波斜面に漕ぎ入れていった。

果たしてその波はマンライ越えの、

テンライとなって、

ジョウブツとタキビシが唱える上陸を果たすと、

吉田さんはまだ見ていらして、

こちらに手を挙げている大団円。

慌てて車に戻ってiPhoneを構えるも、

色彩は落ち着いてしまっていたのが上の画像。

でも竜はまだなんとなくいます。(涙)

NAKISURFアパレル、

第一弾『EAGLE』発売開始しました!

ただプリントしたものではなく、

ブランクスを吟味し、

そしてプリントするロゴもNICK作の逸品。

位置と、

アンティーク・クラッシュのシルクスクリーン印刷。

10オンスという重さ生地と、

アメリカで創業89年という老舗が持つ、

クラシックな吸水製にこだわりました。

アメリカン・クラシック

スペシャル・エディションと銘打ちました。

どうぞよろしくお願いします。

NAKISURFオリジナルアパレル『EAGLEフルジップ・パーカ』発売開始しました♪

さて、

冒頭に書いた先輩が、

「あの伊豆のテイクオフだけど、メイクしてないでしょ」

「いや、あの日のテイクオフは全てメイクしてますよ」

そんなことになったので、

フォルダーを出してみると後半部分があった。

ここにキャッチサーフのしぶとさというか、

敏捷さと機敏が写っておりました。

Wari-Ishi, Izu, Shizuoka

Catch Surf ®ODYSEA Skipper Fish x Taj Barrow Pro 6’0″

.

切り立ち過ぎて、

レイルもフィンも噛まずに飛ばされ、

ほんの少しだけ、

スキッパーフィッシュのテイルが波を伝わっていた。

この絶体絶命のセクション。

ワイプアウトしないというより、

このセクションを抜けるため、

波側のレイルを入れてメイクしようとした。

レイルは入ったが、

ちょうどリップのインパクトの下。

不安定であります。

とにかくできることは、

テイルを踏み付けること。

波先に弾かれ、

陸側に飛ばされるので、

その準備というか予測。

重要なのは耐えること。

鬼の木村政彦なのであります。

飛ばされたほどの速度なので、

瞬時にそのクリティカルセクションを通過した。

めでたしめでたし。

そんな感じで突然平和になりました。

それにしてもこのインパクト、

ワリイシのパワーを感じます。

サクラサク。

今年も咲きました。

ぴんから兄弟というのが、

私が幼少の頃にいて、

EP盤を購入するほど気に入っていたのは、

富士丸くんという同級生のおかげだ。

「かんたん兄弟」

太郎くんと二郎くんのテイクオフ。

次の原稿は『幻想』について書いている。

アンドレ・ブルトンを読み、

次にボルヘスの『幻獣動物案内(Mannal de zoologia fantástica)』

を読んでいたら、

池田満寿夫さんにたどり着いた。

読書の道は、

波乗道と同様に奇妙珍妙かつ、

エネルギッシュなのがおもしろい。

【巻末リンク:奄美の魔獣波】

【サーフィン研究所】二月台風の奄美波魔獣_(1467文字)

【巻末リンク2:バリーマッギー師匠について】

DFWバリー・マッギー展_サーフィンの真意とは?_(2105文字)

【巻末リンク3:ブラッドフォード登場編】

【naki’sコラム】vol.60 勝手に陰陽師『摩訶天仇無須編』_(9836文字)

Happy Surfing!!

夏に見る夢_部原マルイプロ_33年前の波ここに_SEEAのルーキと、マケイラのレインボー・グライド(2303文字)

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Nation Dream Crusher

.

夏に見た夢とはなんだったのだろうか?

彼の地で見た夢。

そういえば、

波が翁になり、

天に還っていくというすごい夢を見た。

これは美しい波がやってきて、

それを上から見ていると、

「その波」は、

半透明で不定形な長い体となり、

「能面翁」の木彫仮面を先頭に、

うれしそうにエネルギッシュにうねり、

そして絶叫に近い歓喜の声を上げ、

反時計回りで天に昇っていくのでありました。

それは神々しく、

これはめでたきことだと、

古語になるのは、

文体だけでも時代を逆行したいからに他ならない。

例えば宮沢賢治さんが詩文を書き始めた時代は、

大正12年(1923)だろうか。

このときの文学は娯楽の主役も主役だったことだろう。

携帯電話はおろか、

TV、ラジオもなく、

ただ唯一、

稀に見られるのが無声(トーキーも)映画という時代だ。

文章がどこまでも深いのは、

磨きに磨き抜いたからであり、

その時代の矜持ということすら文面に感じることがあります。

(宮沢賢治さんを研究中です↓)

【特大号】サーフィン研究家_永原レキくん_宮沢賢治のひとり旅_(3005文字)

昨日は雨。

サーフしたく、

上総一宮の海岸に行くと、

駐車場係の人たちもいず、

まあそんな日だった。

北東風で海波面の起伏も激しく、

しかもサイズも満たず。

エボルブの前田博士と会う約束をしていたので、

とにかく南下していくと、

日曜日の奇跡のメインステージとなった御宿が気になって行ってみた。

山下達郎さんのGROOVIN’で、30cm波の感動に少年時代_フルーツトマトのリガトーニ_(1935文字)

一昨日の波高は30cmあったが、

半分程度のそれは美しい波がブレイクしていた。

ただ、

干潮時ということもあって浅いので、

治りかけてきた膝を痛めるわけにはいかない、

海面が荒れていても部原がいいのでは?

部原はヘバラと読み、

ベテランサーファーならお分かりの、

日本で最初の世界大会ツアー開催地。

(単発の世界戦ではない)

毎年秋には、

千葉県勝浦のヘバラにチャンピオンたちが来ていた。

世界サーキットの開催地である。

かんたんに言うのなら、

現在ジェフリーズ・ベイで、

WSL/CT戦が開催されているが、

そのひとつをここ部原海岸で開催していたのです。

すごい。

部原波の当時の印象は、

「奇天烈」

「読めない」

「くせ波」

けど、

海外の選手がこの部原の奇妙波に乗ると、

全く奇妙にも見えず、

もっと言うと、

とっても良い波に見えるわけです。

『丸井プロ』

いい時代でした。

さて、秋なので台風がやってきます。

大会期間中も何号だかが、

ダブルでやってきました。

夜から大時化となり、

夜が明けても猛風オン・ショアは吹き荒れ、

雨が強かった。

これでは(コンテスト)延期だろうと、

大荒れの海を見に行くと、

やはり大荒れで、

波は泡となり、見るも無惨で、

魚以外の生物は何もいなくなっていた。

すると、

沖の波間、

いわゆるオバケ波が来るピークの辺りに物体が浮かんでいた。

アザラシか何かだろうかと見凝らしていると、

それはなんとなく金髪の人間で、

ガイジンは、こんな時化の中を泳ぐのかと驚いた。

ガイジンはここにたくさんいるけど、

こんなに嵐なのに人間として平気なのか、

具体的には溺れないのかと心配になった。

波が金髪にかぶさろうとしていた。

絶句。

すると、

体がぴょんと前に出てきて、

金髪は波の上に浮かび上がった。

そして、部原アウトサイドの斜面を滑り続けた。

いわゆるボディサーフでありました。

途中までやってきて、消えたと思ったら、

大量の泡の横に浮かび上がった。

そこはメインピーク北側であり、

次にやってきたウエッジを五掻きくらいで乗り、

大会本部側に、

今で言うとマンションの前までレフト方面に乗ってきた。

ショア・ブレイク手前でプル・アウトし、

少しのあいだ浮かんでいたと思っていたら

突然消えたように見えなくなり、

次の瞬間には砂浜を歩いていた。

当時のボキャブラリーで言うと、

オーシャン・ニンジャだ!

そう思ってしまったのであります。

なんとその海忍者は、トム・カレンだったのだ。

彼は天才児というか、

革命的なるカーブサーフィンの真価と、

感動をサーフィン界に与え、今に至る。

そんなヤング・カリスマと、

海忍者が部原でミックスした。

トム・カレンは私に

「サーフィンの極みは、海で自由に泳ぐ」

という基本思想を示してくれた瞬間でありました。

そんなことを思い出しつつパドルアウトすると、

滞在していたサンセットタウン・ハウスの前であり、

そこには33年前と同じウエッジがあり、

その下からイニシャルパドルを開始し、

ダブルアップとなるエッジからテイクオフした。

さすがリーフブレイクであります。

色あせない波のセットアップに感動していると、

MALIBU INNがあった辺りまで乗って来られて、

すると、

1980年代にあったストリーマーズの建物とか、

まだ少年だったニッキー・ウッドとか、

ロス・クラークジョーンズという顔が浮かぶのでありました。

(当時の私はリップカール・チームだったので、

彼等のケアという名目で、

大会会期中は、選手用の宿舎に滞在していた)

そして雨が、晴れてきた。

銀河鉄道999 松本零士 少年画報社刊より

©Galaxy Express By L. Matsumoto

.

宇宙は、

その深遠のかけらをそれぞれの世界に映す。

Seea, Amami Oshima

シーアのカタログ撮影からのヒトコマ。

何か前衛的なことをしたかった。

題して、

『ルーキと、マケイラのレインボー・グライド』

“Luki and Makala’s Rainbow Glide”

ちなみにこのときのアシスタントは、

グリーンヒルの緑くんである。

奄美大島、手広ビーチ。

夏の浜辺で、

ムーチョ・アロハビールを飲みながらの撮影だったことも思いだした。

これも夏の思い出。

乾杯!

Happy Surfing!!

【特大号】白虹_高知自由党サーファー図鑑_台風10号回想記1_ドラグラ始皇帝に三蔵法師の著書を夏休みの自由研究に!?_(3032文字)

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Catch Surf ®ODYSEA x Barry McGee Pro 7′ Quad

.

SR500でのビハインド・セクション。

この位奥から行くと、

かなりの距離の斜面を味わえる。

NALU誌のコラム2編脱稿。

寺さん、これから送りますね。

昨日の正午頃のヘイロー(HALO)。

これは日本語で暈(かさ)と言い、

太陽や月に光の輪が現れる大気光学現象のこと。

白虹(はっこう、しろにじ)とも言う現象だそうです。

真上を見上げて撮る虹というのは、

なかなかに楽しかった。

昨日も登場した自由党の宇賀くんに小屋前でお会いした。

ブレイク前に竹で小屋まで、

森本果樹園の巨峰を大きなロックアイスと一緒に持ってきてくれた。

真夏日、海上がりにいただいた巨峰は、

信じられないほどの感動味で、

もはや忘れられない日と昇華した。

今日もキャッチサーフで、

ハッピーサーフィンしていた。

タヌ氏も敬愛するグレイトサーファーなんですよ。

台風の豪雨がまだ波に色を付けている。

昨日はすばらしい日。

そのひとつは、

ハイカラ・マコちゃんの誕生日を浜でお祝いしたこと。

さらにてっぺいさんこと、

上杉 誠二さんとエリック・クリステンソンの話、

キャッチサーフ、

さらにはローカル問題についてお話ができた。

てっぺいさんは、

私がここでサーフした初日も一緒にセッションしたご縁がある。

彼は、

いつもニコニコとハッピーサーフをされていて、

そしてめげず崩れず、

不屈の心を持たれたグレイトサーファー。

どの地もそうだけど、

意地悪する人もいれば、

てっぺいさんのように優しくしてくれる人もいる。

SO-ANのキヨシさんと同じ年に、

土佐が生んだオーシャンマンです。

いつまでもお元気で、

ハッピーサーフィンを続けてください。

心より応援しています。

【台風10号回想記その1】

台風10号は、

連日いい波だった。

ゆっくりと近づいてきたので、

少しずつサイズを上げたのも良く、

忘れられない波の数々を送り出してきた。

「ヒデが飛びおった」

「ひゃあ高いな〜」

土佐清水の切詰英利くんのリップ打点後は、

周りからそんな声が聞こえてくる。

細胞レベルで元気なヒデくんのエア。

Catch Surf ®ODYSEA Plank 7′

.

ハイカラ・マコちゃんのストール。

彼も真摯にハッピーサーフィンを追求するひとりであり、

そして上記した宇賀くんたちと同じ、

自由党のグレイトサーファー。

しんじょうヤスくん。

サバ手リバースPlusシャカサインをしているのが私。

サーフィンというのは、

こういう方が盛り上がるし、

実際にはお互いを注視しているので、

もし何かあったときにも安全です。

仲間の波乗りを見届けるラカ法王。

後ろにはクリスチャン・フレッチャーが見える。

彼らは、

東京からつながる長い旅の続きだった。

数日前のSR500でMVPを受賞したナッキー。

この波に乗ったとき、

高くて、長い壁が続いていたのですと、

とても興奮していた。

しんほんまち鍼灸整骨院の名医であり、

大院長のケンくん。

端麗かつ、美しいボトムターン。

そしてバレル・セットアップ。

あのタヌーマンも彼の施術に夢中で、

「ケンくんって名医だよね。すぐに治っちゃうんだよ」

そんなことを言っていたのを思い出した。

ケンくんにその秘訣を聞いてみると、

「タヌーマンさんには、38萬ボルトの電流を流して、

取り憑いているタヌキを逃げ出させるのがコツです」

そんな極意を教えてくれた。

続いて、

「でも、またタヌーマンさんが来院されたときは、

また違うタヌキが憑いているんですよ」

そう言って、

言葉の端々や所々にドラグラ式である、

ありますという内容を散りばめてくれるのでありました。

トーイン、

SUP、

ボディサーフとなんでも来いのウオーターマンの浩平くん。

どこかで見たことのあるお顔だと思っていたら、

ノースハワイのハナレイで知った人でした。

そしてまた高知でお会いできてうれしい。

海から高知市内に戻ると、

スゴウデの税理士として日夜励む逸人です。

ノブくんというサーファーがいて、

彼は大きなボード、

小さなボードも全て乗りこなし、

小さな波の日、

そして大きな波の日も一人海に入っている。

しんじょうヤスくんをして、

そしてベンチュラ・セイジをして、

「半端ではないです」

「教祖」

「彼こそが波乗り不動明王です」

そんな伝説を持つサーファー。

土佐高知の横ちゃん。

彼とはここでよくお会いし、

土佐清水の石田さん岬や、

中土佐のドラゴン湾、

あちらこちらの良い波のところでお会いしている。

てっぺいさんと同じで、

笑顔のハッピーサーファーで、

半世紀に近いほどの期間をかけて、

伝説波に乗り続けられてきた心の優しい人です。

三蔵瀧朗のボトムターン。

瀧朗は、

フランス文学を愛し、

サーフィン世界に傾倒し、

10代の際にウナクネ(現ドラグラ)典の研究をすべく、

原点回帰だと気づき、サーフ巡礼を志した。

結果、

ハワイとサンディエゴの西海岸回廊を経て今に至る。

その原典のひとつであるボトムターンで、

この日も高知で翻訳作業に勤しんでいた。

彼の著書で有名なのが、

『善勇猛龍滑経』。
内容は、
始皇帝(ハービー・フレッチャー)が、
サンクレメンテに数人の比丘(男サーファーのこと)と滞在し、
ドラグラ、
ドラゴン・グライド(竜滑走)について始皇帝が彼らに説法していた。
ある日のこと、
比丘の一人であるラカ法王が立ち上がり、
「智慧の完成」とは何ですか?と質問し、
真理が始皇帝の口語で内容が語られていく

という良書であります。

これは、

小学校夏休みのしゅくだいの感想文にぴったりです。

『善勇猛龍滑経』ドラグラ・プロダクションズ刊
善勇猛龍滑経を読みました。
サーフィンをする人の心理が書いてあり、
そしてまた、人としての真理も描かれていて、
とてもぼく(私)の心に残りました。
両親にもすすめてみると、
ふたりともYou Tubeそっちのけで読んでいます。
ぜひ、先生も読んでみてください。
読み終わると、
ハービー・フレッチャーさんのような口ぶりになりますよ。

話は戻りつつあり、

その瀧朗と高貴なマイケル。

手前はタヌくん、タヌ氏こと、タヌーマン。

やんごとのないマイケルが、

決死の覚悟で乗った忘れられない波。

(巻末リンク参照)

真の仏教徒マイケルは、

「日本の製品大好きです」

そう言って、

タヌくんと同じく、

ココサンシャイン王となっていた。

横はクリスチャン・フレッチャー。

前出のハービー・フレッチャーの長男である。

(巻末リンク*2参照)

東京RVCAのTシャツが欲しくなった。

クリスチャンの実弟ネイザンも、

キャッチサーフの宇賀くんモデルで、

子どもたちと一緒に遊んでいた。

土佐には超級波がある。

クリスチャン・フレッチャーをして、

「こんな波が毎日あったら、世界でもトップレベルだな」

と言わしめた波質である。

閑話。

イージー・ライダーのワイアット(キャプテン・アメリカ)役の、

ピーター・フォンダが亡くなってしまった。

イージー・ライダーは1970年に公開された映画だ。

私たち世代にとって、

この映画は、

アメリカの砂漠というか、

ドライな精神を素肌感覚で教えてくれ、

そして自由とは何か?

そんなことを投げつけてきた作品だった。

Peter, Rest In Peace.

日本のエーゲ海。

浦ノ内湾を下中山に於いて。

【巻末リンク:マイケルについて】

台風9号と高貴な人たち_公平さんと泰介さん_11年前のGLIDE誌_(1971文字)

【巻末リンク*2:ドラグラ始皇帝ハービー・フレッチャー(必読です)】

【naki’sコラム】vol.62 The Thrill is Back. Life is Surfing._ハービー・フレッチャー2012_(12008文字)

Happy Surfing!!

【特大号】不条理時代のDFWという矢とは?_仲間と行くヘア・カリフォルニア_(3357文字)

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雨が降っていて、

その雨の音由来からか、

土佐高知にいる夢を見ていた。

はるかなる波。

はるかなる浜。

遙かなる気持ち。

また暑くなったので、

冷やし中華の復活となりました。

アボカド以外は全て土佐高知産。

Hair California Fujisawa / 8 HOTEL

.

ヘア・カリフォルニア藤沢店

神奈川県藤沢市鵠沼花沢町1-5

8HOTEL Ground

080-4626-0073

「ビールを持ち込んでしまいました」(ツナくん)

「いいんですよ。リラックスしていてくださいね」(カルちゃん)

それまでツナくんと会話をしていた瀧朗はこう言った。

「ツナくんさ、あのね。

今の世の中では、例えばバリー・マッギーはさ、

日常生活の見聞や体験全てをDFW(巻末リンク)としたい、

そう帰結させたいと行動し、活動しているんだ。

DFWをかんたんに言うと、

“全ていいよ。すばらしい”という幸せなことなんだけど、

その広域化というか、

人生の大きなゆとりというものが広まってさ、

あるいは深まって、

それが世界中の文化的表現を進行させるという重要なプロセスなんだよ」

「はい….」

「かんたんにまとめると、

これは、個人が、

自発的に経済行為や表現活動をする自由と、

それら能力のことを指していると気づくでしょ。

こんな定義ではわからないかもしれないけど、

わからないこともDFWの一環だと採り入れたらいいよ。

これがこの活動の奥深いところなんだ。

これならもし言葉が通じない地域、

例えば西アフリカに行っても、

タヒチに行っても活動できるんだよ」

「はい。でももうよくわからないです…」

「そんなことないよ。ツナくんなら理解しているはずだよ。

このカルちゃんが提案し、

実行する『ヘア・カリフォルニア』は、

世界のファッションシーンを口コミはもちろん、

イチゲンさん、ゴヨウタシ、噂、

記事やニュースがSNSなどによって拡散され、

いわゆるグローバリゼーションと昇華しているよね」

「はい….」

「そこで問題だよ。ここに”ゆがみ”はあるだろうかね。明智くん」

「あ、ここに明智くんはいません」

「そうではなく、これは怪人二十面相だよ。

探偵ごっこなんだよ。DJタンテイくん!!ズバリ!」

「たんていです⚡」(カルちゃん)

「あ、どうしてそれを….」(とても困るツナくん)

「そんなことはもはやどうでもいいことなんだ。

私は個人の表現活動を推奨する立場なのだよ。ワトソンくん」

「はい、ワトソンはわかりました。すごいです」

「すごいとかそうではなく、ゆがみに話を戻そうよ」

「はい」

「ゆがみというのは、

アルベール・カミュが提唱した不条理からはじまっているとは思わないか?」

「よ、よくわからないです」

「とにかく、ツナくんはさ、

この不条理な世の中に反抗するために何ができるのかな」

「あ、それで意志のある髪型にしたくて、予約しました」

「なるほど、それはすばらしいことだね」

「でもうまくそのことを説明できないです」

「どんな気持ちなの?」

「なんだか、自分というものを堅くしたいです」

「甲羅?それじゃ亀だよね」

「違います。ぼくの主張をスタイルとしたいんです」

「なるほど、それなら良い考えがあるよ」

「聞きたいです」

「ミスターTカットが良いよ。

西アフリカにマンディンカ族というのがいて、

その戦士風ヘアカットだってね。

彼はね、ロッキー3に出演していたり、

モハメド・アリ、スティーブ・マックイーン、ダイアナ・ロス、

マイケル・ジャクソンのボディガードをしていたんだぞ。

わかる?マイケル・ジャクソンだよ!!」

「ミスターTですか?わからないです」

「ググってみるといいよ」

ツナくんはケープの後ろから見事にiPhoneXEを取りだし、

画面をいじっていた。

少しすると、

笑いながら天井に顔を上げ、

少ししてから鏡で自分の顔を見てからこう言った。

「多分、無理です」

「なにが無理なの?」

Mr T

.

「か、会社です。じょ、上司です」

「ふーん、それじゃしょうがないな。ナキさんは何がいいと思いますか?」

「俺もミスターT系のヤシエル・プイグカットを薦めたいなぁ。

あの色も好きだし、

やはりツナくんは胸を張るのが良いと風水にもあったからさ」

「あ、は、はい。ではそれにします」

「でもヘアカラーもするし、

パーマの時間がかかるから、それこそカルちゃんに聞かないとだよ」

ツナくんは、

またiPhoneを出したので、

私は”MLB・ヤシエル・プイグ”と伝えた。

少しすると、

「これもだめです。絶対だめです。会社がだめです…」

「そうなんだね。でもツナくんはプイグのカット似合いそうだけどね」

「野球界イチバンの格闘家だと検索には書いてありました」

ヤシエル・プイグ

.

「そうなんだよ。でも格闘することはないか」

「はい、ぼくは平和主義ですから」

「そうだよね。じゃカルちゃんにオマカセすれば?」

「はい。そうします」

そうやって、

カルちゃんこと軽部さん、

もっと言うと、

ヘア・カリフォルニア主宰の彼が、

ツナくんの色々を考えてヘア・デザインした。

これぞマンディンカ戦士風を踏襲しつつ、

世間融合、

上司ハツラツ、

世界平和、

仲間絶賛というカットになった。

すごい!!

めでたしめでたし。

次は私の番。

まずは三毛ネコになるように染めていただいた。

ミケネコカラーにしたいのは、

3つの理由があり、

まずは小林まこと先生のWhat’s Michael?のニャジラが大好きで、

それが三毛ということ。

もうひとつの理由は、

土佐のカタサバ先生近辺にいる元捨て猫ミヤアと、

私の地毛が三色だからであります。

私の髪色が定着する間を塗って、

ナッキーのヘアカット。

「いつものように」

「はい」

たったそれだけのやり取りがあり、

私はシャンプー前の椅子で、

ミスターTのくだりを思い出して笑ってしまった。

ついにやってきました。

ヘアカリ3Dスパイラルシャンプー®

一子相伝の技術というか、

このサービスはすでに私たちの流行語大賞ノミネートまで達している、

この伝説のシャンプーでヘアカラーを落とすのでありました。

至福。

感激であります。

2ヶ月ぶりのヘアカリ体験。

ミケネコカラーも完璧であります。

眉毛まで揃えていただいた。

さすがカルちゃん。

キャッチサーフ本社のナンバー2ジョエルとカルちゃん。

.

ドラグラ・プロダクションズでは、

聖式カルちゃん、

セイント・カルちゃんとして広く知られているので、

ご存じの方も多かろう。

グレイトサーファーで、

ハイファッションの彼がヘアカットを表現した結実です。

今回は仲間たちとカットしたので、

心の裡まで愉快な時間でした。

いつかツナくんは、

プイグカットするのだろうな。

そんな予言めいたことを感じている。

反社会性ではなく、自主主義。

そしてDFW。

(DFWについて詳しく分かるリンクを巻末につけておきます)

クリスチャン・フレッチャーとフェイスタイムをしている瀧朗。

“What’s up Christian!”

“Whazapp Takiro!!”

とやっていた。

クリスチャン・フレッチャーは、

ドラグラ・プロダクションズでは魔界皇帝であり、

彼を成田空港まで、

つまりJR大船駅まで送っていったのは摂政瀧朗だった。

クリスチャンは、

その成田エクスプレス後、

無事にチェックインしたという律儀な連絡だった。

(旅慣れていて、日本に何度も来ているクリスチャンならば、

山手線を使っても空港まで行くことができるだろうが)

このようにクリスチャンは見た目とは反対で、

義理人情を大切にする男だとはあまり知られていない事実だ。

だから私たちは彼のことが大好きなんです。

(巻末リンク*2参照)

ヘアカット後は、

全員で南東に88歩ほど行き、

まるで台湾旅行のような晩餐となって、

最後には全員がサバ手で小籠包などをつまみあげていた。

サバ手だなんだとやっているけど、

原型はこの『チビ太がうれしいときにする手』であります。

どうぞみなさんもうれしいときは、

サバ手でその気持ちを表現してみてください。

ヘア・カリフォルニアでのカットを終えた法王。

おやおや、

さぞかしうれしかったことでありましょう。

おわり。

【巻末リンク:DFW決定版】

DFWバリー・マッギー展_サーフィンの真意とは?_(2105文字)

【巻末リンク*2:クリスチャン・フレッチャーの真実】

魔界皇帝のシンジツ_クリスチャン・フレッチャー_ハッピーサーフと波乗りの真実を_(2452文字)

Happy Surfing!!

 


夢の記憶と宇賀くんの素性_カータンとタヌーマンの色_(972文字)

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サーフィンの夢を見ていた。

その理由はたくさんあって、

中村竜さんたちとたっぷりの波乗り話をしたからに他ならない。

波に乗ることは単純なことなんだろうけど、

ありとあらゆるさまざまなことが混ざって乗る波もあるから、

入り組んだ夢を見て、

それがやたらと面白かったりするのだろう。

青龍寺の芙蓉(ふよう)。

ハイビスカスに見えたが、

本堂の前にあるのが妙だったので、

調べてみると違う花だった。

高知の知識人かつ、

ハッピーサーファーの宇賀(うか)くん。

宇宙賀正(うちゅうがしょう。音写略)が、

ドラゴン・グライド・プロダクションズでは正式名。

法王の十大弟子の一人とされている。

幼少時より智慧多くして諸文を持誦し、

さらには高知新聞を定期購読していることから

多聞第一(たもんだいいち)と称せられている。

後の龍滑宗では、

タキビシの跡を継いで、

波乗法付法蔵の第3祖となられるが、

このNAKIブログでは、

そこに達するまでの経緯をここに書いていくことだろう。

ツナくん。

こちらも宇賀くんと同じキャッチサーフの7フィート。

あるとき、

ツナくんは、

自分には貪(rāga)、

瞋(dveṣa))、

痴(moha)という心の汚れがあると悟り、

それからすべての煩悩を滅し、

テイクオフし、

波壁に張り付いて上陸(成仏)を得たとされる。

「神通力を得て、形体を化かす」

まるでタヌーマン世界のようだが、

このことを種々示現できるようになってきた。

サイボーグ009の展示があったので行ってきた。

上の恐竜みたいな怪獣こそが、

石森ワールドの入り口だったのかもしれない。

そんなことに気づいた令和元年。

シナリオが欲しくなった。

少年キング、

かなり好きだった本。

連載で読んでいるときは白黒。

なので映画となると、

主人公、

ヒロイン、

準主役の色がわかる。

今見ると、

ちゃんとそれぞれ違う色で描かれていた。

カータンって、

こんな蛍光色でしたっけ?

瀧朗がカータンの収集家なので、

数体プレゼントしようとしたら、

ひねって「ウナギ犬が欲しいです」と返信があった。

タヌーマンと、

向こうに歩いていかれるのはテッペイさん。

中土佐のすてきな日を思い出したのは、

夢の中にそんなシーンがあったような気がするから。

さて、土曜日です。

台風うねりはいつ入ってくるのでしょうか。

Happy Surfing!!

【サーフィン研究所】三連休スペシャル_ジェフリーズの波質_アメリカの豊穣と疲弊をフリーウエィから知り、USタキビナイトの愉楽_8ホテル・フーディガイド_(1999文字)

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まずは回想編です。

けれど、

そこまで古い話ではなく、

これは19日(木曜)の千葉北、一宮ジェフリーズ。

Chiba Jeffrey’s

Catch Surf ®ODYSEA Skipper Fish

Tyler Stanaland Pro 6′0″

.

湘南から千葉までやってくると、

見事に北東風が吹き荒れていた。

この日の波情報は、

かなり低い点数を一宮に付けていた。

(いいぞいいぞ)

きっと北の飯岡や銚子の風が合っているからだろう。

そして勝浦も良さそうだった。

NAKISURF界隈は、

この風をかわすところがいくつかある。

正確には、

ジェフリーズ寄りのタキビシ・ピークだ。

いわゆる冬の風の日。

肌寒い平日ということと、

上記した波情報の点からか、

一宮海岸の砂地駐車場の北側には、

たった4台しか車が停まっていなかった。

5人ほどサーファーが入っていたが、

全員がエックスとジェフリーズの間で波待ちをしていたので、

ジェフリーズから北は無人だった。

NAKISURFのスタッフ間では、

フィッシュ・ブームが巻き起こっていて、

それぞれの得物があるのだが、

この日は、

ナカガワがオレンジ色のフィッシュを持ってやってきた。

南東グランド・スウェルと、

北東からの風波の混合という波質は、

「合わさって、角度を変えて離れていく」

というもので、

いつものタキビシ・ピークの特性をまとっていた。

具体例を示すとなると、

カリフォルニアのリンコン岬、

本家南アフリカのジェフリーズ・ベイ、

中土佐のドラゴン・ベイ

(北の大きな港という意味の地名でした)。

この辺りだと、

川の横にあるインポッシブルが似た波質だろうか。

「(波斜面が)斜め横に開いて走っていく」

言葉にするとこうなる。

サーファーは波に入るやいなや、

斜面内にレイルを入れなくてはならない。

そして前足荷重のめくるめく視界となる。

またはオフザボトム、

オフザリップ、

ロールイン、

フローターなどを駆使しながらメイクするというワールド・クラスだけど、

滑走ラインが極めて限定される。

とにかく速い、

早い波質だけど、

自身が斜面にいることができたら抜けられる、

そうでないと、

つまり泡をしょってしまったり、

ブレイク・バウンスの後ろに入ると、

波をメイクすることは途端にむずかしくなる。

そんな波。

【第二部】

カリフォルニア編。

到着後、

金曜日のウエスト・ハリウッドの大渋滞を通過すると、

トランプ政権の豊穣と、

疲弊と膨張ということを実感できた。

これはきっと瀧朗もそうだし、

そうなってくると、

村上春樹さんなどもこういう空気というか、

感覚を瞬時に判別するだろう。

「トレーダージョーズに行く」

そこまでは昨日書いたはずで、

店内に入ると、

収穫祭に向けて華やかだった。

それにしても12個程度入ったイチジクが、

400円であることに恐れ入った。

(カリフォルニア州はほとんどの食品は無消費税)

一個40円以下で旬の果実が食べられる。

日本ではあまり流行していないが、

コンブチャ(間違った翻訳による名前だという)が、

新商品を増やしていたり、

野菜ジュースのようなサラダ・ドレッシングが、

健康志向のカリフォルニアンを象徴するように並んでいた。

ひたすら美しい。

購入物一覧。

こちらもコールド・プレスのジュースや、

前述したコンブチャ、

生のピスタチオ、

バナナに大好物のブラータチーズという視界となった。

メキシコのモデロ・ビールは、

ベンチュラ・セイジへのプレゼント。

たいていのゲストは、

こうしてビールやワインなどを、

「自分で飲むであろう本数の2〜6倍を持っていく」

ということをしている。

もしこちらで、

パーティなどに呼ばれたらこれを目安としてもいいかもしれない。

そのベンチュラ郡に到着し、

セイジのワイン農園に行くと、

すっかり夕食の時間で、

さらには鉄板焼き器が導入されていて、

祭の様相でステーキなどが焼かれていった。

楽しい、

いつものタキビナイト。

Thank you so much!!

【お知らせ】

湘南藤沢駅南口の8ホテルに

「近隣の食べものについて」

という連載を持っています。

『フーディガイド』

記念すべき10回目の掲載となりました。

内容は、

8ホテル・フロント脇に置かれている

『フーディ・スタンド』からお取りになるか、

ウエブサイトからもご覧になれます。

バックナンバーもこちらからどうぞ!

https://ameblo.jp/8hotel-foodie/entry-12527939615.html

今回は野菜です。

タランティーノです。

有機ワインです。

うれしい藤沢時間でした。

さて、

戻ってカリフォルニア。

これが今朝。

到着してから変わることなく良く晴れているが、

ひたすら寒く、

摂氏14度しかない。

けれど、

日中は35度まで上がるという。

気温差21度というのをほぼ忘れていた。

それではまた明日ここで!

Happy Surfing!!

【サーフィン研究所 |巻末リンクx4】バックサイドのバレル_アラジン2020_CJネルソンとメガ・クアッド_(1539文字)

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私はこれまで35年間をかけて、

あらゆる塀や樹木、

または本棚や壁を波だと想定し、

仮想的に張り付いてきた。

その結果、

バックサイドのバレルが得意となった。

だが、

2017年の12月に膝を痛めてしまい、

この19か月間は、

張り付きを封印していた。

けれど、

今年の7月頃、

ブルードラゴンの土佐高知で、

膝が少し曲がるようになった。

さらに書くと、

曲げても膝が腫れなくなった。

完治までどのくらいかはわからないけど、

正座は全くできないのだが、

60%くらいまでは治っているようで、

とにかく快方に向かっているのがうれしい。

少し前までは、

「半月板損傷だから手術だ」

そんなことになっていたので、

自然治癒で治るとは想像すらできなかった。

やはり桑田(そうだ)山温泉(高知県須崎市)の湯効だろうか?

または浦ノ内湾下中山の妖力、

青龍寺奥の院の御利益?

いやミヤアの恩返しだと、

そんなことを考えていた。

いつのまにか睡っていたようで、

先ほどイタイイタイと目が覚めたところだ。

それまで夢を見ていて、

順を追って思い返すと、

それはアラジンのストーリーがベースとなったものだった。

ただ、

アラジンがタヌーマンだった。

あらすじは、

青年タヌーは、

土佐高知ウラノウチに暮らしていて、

タヌキハンター=タヌキ油生産者として貧しい生活をしていた。

タヌキの皮を剥いで油を取るサーファー。

そして私の前に現れたのがランプの魔神。

どんな願いごとでも3つまでかなえることができるという。

そしてその魔神を良く見ると、

それは高知の宇賀くんであり、

話しかけると、

僕はアラジン内の魔神ジーニーではなく、

ガショーという名前なんですぅと教えてくれた。

もっと書くと、

ランプはあの黄金のランプではなく、

タヌキの置物が持っている

「八」と漢数字が書いてある酒の瓢箪だった。

なんだか変だな、

奇妙だと思いつつも、

その願い事はなんだろうかと想いを巡らせていると、

なぜかタヌーマンは、

ダクトテープ鵠沼(巻末リンク)に出場していて、

あの「エイハブ船長のポーズ(巻末リンク*2)」が、

ジョエル・チューダーとデヴォン・ハワードたちの賞賛を受け、

全てのヒートをダントツで勝ち進み、

なんと優勝してしまうのであった。

あ。

でもきっとこれは魔神ガショーの魔法だとわかった瞬間、

足が攣って目が覚めた。

そんな夢。

こちらは名作おにぎりだが、

オヤブンというのは、

ウラノウチの宇賀えいじさんのことらしく、

(シナモンは巻末リンク*3に)

秘伝のたぬき味というのは、

おいしいのだろうか?

そんなことを考えていた。

下の画像は、

エアポート・バンクの午後で、

「オン(風)が入ってきたから」

そんな理由でピークは無人となった。

そこにはガショーこと、

宇賀くんがいて、

一緒にパドルアウトした日。

私が荒れたリップにセットインしたのは、

タイラー・ウォーレンのドリーム・フィッシュ。

こうして一緒にハッピーサーフしたことは、

一生忘れることができない記憶を焼き付けた土佐高知。

さて、

こちらはサンオノフレ。

マンライ(©満足ライディング)をして上がってくると、

サンタクルズのCJ(ネルソン)が駆けつけてきてくれた。

ああひさしぶりです。

元気で何より。

(巻末リンク*4を)

そんなことあんなことを話した。

私たちはそれぞれの人生を生きていて、

サーフボードの性能マニアのCJに、

新提案のメガ・クアッドを見せた。

「これがあの動きの軸だったのか」

そう驚いていたのが印象的だった。

続きますね。

【巻末リンク:ダクトテープ初上陸!】

【ドラグラ・プロダクションズ特報&特大号】ダクトテープが湘南で開催!!_WSLは顕教でドラグラは密教!?_サンオノフレ・ライフガード_(3079文字)

【巻末リンク*2:エイハブ船長について】

【タローマン特大号】タヌキマンはエイハブ船長!?_土佐清水食_(3122文字)

【巻末リンク*3:シナモン風味由来について】

シナモン・タヌーマン_石川啄木VS北原白秋_(1070文字)

【巻末リンク*4:CJネルソンとのサンタクルズ】

感謝祭のCJネルソン_波が上がってきています_Z1サーフスーツの来季モデル_(1138文字)

Happy Surfing!!

【サーフィン研究所特大号】千葉タキビ・ベイ_四国ブルードラゴンへ_アンドリュー・キッドマンと深い話_(2268文字)

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Keisuke on

Catchsurf ODYSEA x Barry McGee DFW 7′ Quad

Nakisurf Original Twin + VEKTOR VD

.

千葉にやってくると、

すばらしい波があった。

Catchsurf ODYSEA Skipper Fish 6′ Quad

Nakisurf Original Twin + VEKTOR VT

.

千葉ジェフリーズは20人くらい入っていて、

その横のタキビシは0人、

全くの無人でした。

しかも日曜日。

ツナくんとケイスケが先発し、

シギーGがいて、

ナッキーとタキビシとジェフリーズの中間、

タキビ・ベイにパドルアウトし、

私たちだけのプライベートセッションとなりました。

ただ、

陸というか波打ち際は、

大雨の後に羽化したのか、

幾億もの黒い羽根を持つ小さな虫が、

口の中はもちろん、

耳や目に入ってくるほどワイルドな環境だった。

ベストセットは、

テイクオフから途切れない200mの壁が続き、

インサイドではスタンディング・バレルとなるという

ワールドクラス波。

だが上記した理由で写真を撮るのは、

拷問に近い状況だったので、

数分間のサーフ画像を得た。

これがその1本である。

波は徐々に良くなり、

この2時間後にやってきたベストセットと比べると、

このサイズは倍増、

アクアライン巻となり、

ワールドクラス認定となった。

上手く書けたかは微妙だが、

これでタキビ・ベイのパーフェクションというのは伝わるであろう。

インサイドでもこのパーフェクト。

『タキビ・ベイ』

すばらしい波でした。

トロちゃんと竜くん、

そしてベンチュラセイジたちとSMSでやり取りしながら、

成田空港に舞い戻り、

ふわりと飛んだらそこは高知竜馬空港でした。

空路の短さを思い知った。

ドラグラ和尚河合さんのお出迎えを受け、

(巻末リンク参照)

室戸御厨人窟(みくろど)横の

『スカイ&シー』

という銘民泊施設にチェックインする。

(正式な開業は、今年の12月よりだそう)

すると四国の偉人タマちゃん(巻末リンク*2)

がやってきたので、

トランプによる直感ゲームをすると、

スカイ&シーのボルテージは最高峰に達したのです。

私にとってはダイヤの9と、

ハートのJが忘れられない。

御厨人窟(みくろど)に行き、

朝陽という名の明星を受けた。

ここは徳島の偉人、

藍色永原レキくんが導いてくれた場所で、

それから私は空海に夢中になっている。

室戸岬西寺と呼ばれる金剛頂寺(26番札所)に参拝し、

ブルードラゴンに到着すると、

なんと、

オーストラリアのアンドリュー・キッドマンが入っていた。

ライドの柴田さんたちが、

エッジボードの巡業ということで旅しているという。

アンドリュー・キッドマンのサーフィンは、

やはりかっこいい。

「こういうスタイルは良い」

「すばらしい」などと、

望遠レンズを向けて写真を撮っていると、

海から上がってくるなり、

こちらを見て「NAKIか!」と言うのです。

驚いた私は、

「なぜあなたは私を知っているのですか!?」

「知っているから知っているようだ」

「感激です。日本はどうですか?」

「最高だよ」

ここで私のポケットに入れていたiPhoneから野球中継が聞こえていました。

「野球を聞いているのか?」

「そうです」

「どっちが勝っている?」

「野球好きなのですか?」

「無論大好きだ。私は大のヤンキースファンである。CSゲーム6を見たか?」

「もちろんです」

「あのホームランでやられたのだ。ううぅ」

(アンドリューは大きく失意の表情を見せた)

「アルトゥーベの一発ですね」

「そうだ。でもだからこそ私はアストロズを応援しているのだ。

なぜならあの偉大なる今年のヤンキースに正々堂々と勝ったチームだからね」

「すばらしいファンですね!」

「で、で、試合はどうなっているんだい?」

「1ジップ(ゼロ)でアストロズです」

「わがヤンキースに勝ったアストロズは、このシリーズを勝てるかな?」

「かなりの確率で勝つと思いますよ」

「そう思うかい?」

「はい、チーム力が倍くらい違います」

「ほう!」

「ナショナルズは1,2戦は策に完全にはまりましたが、

通常で組めばアストロズの方が強いです」

「とすると、行方はまだわからないと言うのだね」

「というより、まだまだアストロズ有利だと思います」

「あのときのヤンキースのようにか!?」

「そうです1996年のヤンキースです」

「むう。それにしても良い波だ」

「昨日はもっと良かったんですよ」

「知っている。言うな。いつも私はそうなのだ。

一日遅いと言われることは慣れておる」

「私も同じです」

「明日、あなたが行くであろう平野のヴェニュー(開催地)には、

東うねりを受ける岬があります。波が少しでもあれば、

そこであなたは忘れられない波を得るでしょう」

(愛の石田さん岬のことであります。巻末リンク*3へ)

「そうなのか。じつはどこに行くのか無視していたのだよ」

「日本には良い波がありますからどうぞ楽しんでいってください」

なんと、

オーストラリア人と深い野球話をするとは思えず、

さらにはこの人こそが、

あの『リトマス』の作者アンドリュー・キッドマンだし、

人生いろいろ、

奇妙なこともあるものだと、

河合和尚と「きた本」のランチに向かった。

(続く)

【巻末リンク:河合和尚のスピーチ。巻末へ】

【特別講演】ダライ・ラカ法王38世『真のサーファー救済へのメッセージ』_(6454文字)

【巻末リンク*2:偉人タマちゃん認定について】

【文藝短編】ジグザグ玉ちゃんとベンチュラ・セイジのワイナリー=(イコール)カレラワイン=三輪酒_(1836文字)

【巻末リンク*3:愛の石田さん岬のこと】

【特大号】龍の地で石田さんと愛のセッション_(2772文字)

Happy Surfing!!

【サーフィン研究所特大号】ハロウィン_NAKISURF業界最重要価格を達成!_ダクトテープ・インビテーショナル前夜のアンディ・ニエブレス!_高知にありがとう_カリスマ・カズさん_(2772文字)

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Oh YES ついにハロウィンです。

大きなパンプキンがそらに浮かぶ成田空港に戻りました。

カボチャ大王と、

名作『PEANUTS』で標されているものであります。

さて、ここでお知らせです。

【重要】カリフォルニアからのサーフボード価格が大幅に変更となります!

NAKISURFでは創業当時より、

適正価格ということにこだわってきました。

今回、

一年ほどお時間をいただきましたが、

全てのコストにこだわり、

業界最重要価格を達成しました!

どうぞよろしくお願いします!

Catch Surf Skipper Fish 6’6″

Original Twin + VEKTOR VT

at Sky and Sea

.

室戸崎スカイアンドシーの北西、

戌の方向で逸波を得た。

今回の来髙は、

民泊のプロデュースの仕事だったので、

サーフィン関係ということではなかった。

だが、

室戸岬に到着した途端、

美しい東うねりが連続してやってきた。

Eiji Kawai on SX-7

.

さらに河合和尚もいらしたので、

彼のたっぷりのボードコレクションをお借りすることもでき、

逸波サーフもできてしまった。

アンディ・ニエブレスは、

ヤング・ジェダイの称号を持つ

ウナクネカードの一桁台であります。

つまりオルナタティブ・サーフ界では、

永久欠番的な存在となっている。

サンオノフレやソルトクリークの波。

こちらは、

八十八箇所界から説明すると、

それぞれ胎蔵界と金剛界の修験所である。

彼はそこで幼少時から修行を積み、

成人の年齢となって、

大海に漕ぎ出すと、

天才だと言われる沙門アンディの波乗りの腕前は、

タイラー・ウォーレン、

アレックス・ノストたちを軽くしのぐものだった。

アンディは、

『ダクトテープ・インビテーショナル湘南』

の招待選手となり、

昨夕SQ11便で成田空港に到着し、

そのままVANSが手配したリムジンでやってきて、

イベント指定宿である藤沢8ホテルにチェックインしましたと、

三蔵瀧朗㉚から昨夜報告があった。

8ホテルの地上には、

ドラゴン・グライド・プロダクションズ特約のヘア・カッターがいる。

そんなことはアンディは知っていて、

そのまま直行するというパーフェクション。

『ヘア・カリフォルニア藤沢店』の、

オーナーカッター、

唯一無二の聖式カルちゃんによって、

すばらしいカットを施されていた。

ダクトテープ・インビテーショナル。

私の予想は、

アンディがダントツで優勝するのだろうが、

それには波が必要である。

明日から3日間。

良く晴れて、波がありますように。

Kongo-Choji Temple, Moto,

Muroto City, Kochi, Japan

Number 26

.
第26番札所、
金剛頂寺、室戸市

高知でお世話になった方々、

優しくしてくれた人、

知り合った方、

(時代遅れの)ローカリズムをかざして文句を言ってきた人、

おいしい食べもの、

中継画面で見たワールドシリーズ、

そしてすばらしい波にありがとうございました。

これはブルードラゴンの無人パラソル前で、

この波に乗ると、

なぜかカズさんのことを思い出した。

(パラソル前については、

巻末リンクを参照ください)

カズさんは、

辻堂ジャザ(JAZA)前にあった

「きたろう」のオーナーであり、

または

「ねずみ男ときたろう」のマスターであり、

後の

『大船スポーツ居酒屋バリBALI伝説』

のオーナーシェフ兼代表者であり、

居酒屋界では、

「貝塚ひろし(ど根性ガエル)」であり、

カリスマ的なカエル調教師という田辺カズさんは、

さまざまなサワーを考案し、

業界内でも初代引田天功を越え、

マエストロの称号をまとい、

インドネシアにまで飛び立ち、

そして永住された。

私たち世代の湘南サーファーでは、

永遠の先輩なのであります。

そのカズさんと偶然再会したのは、

土佐高知パラソル前。

そこは、

河口であり、

あれから数百度の雨があって、

地形が変わっているはずなのだが、

なぜか健在で、

今回も不思議なほど良い波だった。

これもカズさんのパワーだと、

そうなんだよと、

池田潤ちゃんと話していた。

彼は明日から始まる

ダクトテープ・インビテーショナルのジャッジをするという。

さて、

またウエットを着ずにサーフしていた。

冷やし系の風だが、

海はまだまだ温かい。

でも、

もうすぐウエットスーツの季節です。

さて、

『サーフ&サーフT』

なのだが、

エリを切って洗濯をしたら、

伸びてしまい、

シルエットが悪くなってしまった。

エリは切らないデザインとし、

シルエットで幅がふくらまないように、

現在脇側を赤い糸で縫製中です。

【サーファー図鑑】

(タイミングよく撮ったものです。

全員ではないので、落胆しないでくださいね)

ハワイアンみたいなグッドサーファーであるナオくん。

ずっとマオくん(真魚=空海の幼名)だと思っていました。

フィッシュ使い。

コウヘイくんは、

ショートボードを持ち出して、

バレルコントロールの精密さを説いていた。

ハイカラ・マコトくんは、

ミッドレングスのロケットツインで、

澄明なるバレルを得た。

こちらはイズミくん。

ソーアンの潔(キヨシ)さんに師事しているという。

彼は、

龍で知られる早明浦ダム出身であります。

この流れに沿って玉ちゃんの故郷である今治(いまばり)があり、

ベンチュラ・セイジたちの山がそびえていく。

そして私たちがサーフする美しい河口につながる。

四国は偉大です。

なんと!

サバットの38ナンバーがあった。

運転者の方にお話を伺ってみると、

ウナクネのファンが高じて、

(現ドラグラ・プロダクションズ)

「ほ=法王、38としました。

しかもひねってミッチーズのステッカーも貼らなかったです」

むむ、これこそは天才ではなく、

天ラッコですと伝えると、

「このことをサンソンのリクエストハガキに書いてもいいですか?」

というようなことを言うではないか。

これは、

山下達郎さんの

長寿人気FM番組サンデーソングブックのことだと瞬時に判断し、

「大瀧詠一さんのウララカをリクエストしてみてください」

そう伝えると、

震えるほど喜んでいらした。

いつもブログを読んでくださってありがとうございます。

偉人タマちゃんによると、

高知以外にも、

愛媛にもドラグラ系のサーファーが多くいらっしゃるそうで、

とてもうれしく思いました。

どうぞよろしくお願いします。

こちらは夏にお世話になった高知のシュウくん。

マナブくんの平野イベントでご挨拶させていただいたのが最初です。

波乗りが大好きで、

ベンチュラセイジを少年時代から知り、

しかもサニー・ガルシアよっちゃんのご近所さんだそうで、

こうやって人と人はつながっていく不思議を知りました。

どうぞよろしくお願いします。

さて、カリフォルニア回想編を続けますが、

写真だけのコマにあしからず。

【巻末リンク:パラソル前について】

【金曜日の特大号】東京カルディ&ハガレ_土佐高知のナニ回想編_(3465文字)

Happy Halloween!!

Happy Surfing!!

【サーフィン研究所特大号:伊豆まとめ三部作、後編】NAKISURFカレンダー2020ダブル_朝陽のフルジップ・パーカを手染しました!_さよならアンディ・ファミリー&ありがとう伊豆〜!_(3465文字)

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伊豆の石廊崎、

南伊豆から国道136号線、

135号、1号、

そして134号に入り、

再び1号、横浜新道、

首都高速で東京経由、

アクアラインで千葉に入る。

圏央道、県道293号で、

国道128号線に出て、

上総一宮玉前神社まで戻ってきた。

戻ってくると、白子で虹が出た。

たいへん珍しいと感じ、

そして亡くなった石田さんのことを思い出すに至った。

(巻末の写真がそうです)

こうして道路名を書くのは、

常に地名と一緒に走っているから記憶するのに他ならず、

車窓から白浜〜、見髙浜〜、

稲取〜、

片瀬白田とやって、

川奈、伊東、熱海、湯河原ときて、

西湘に入れば、肉ちゃん、

ユースキー、ラオシャン、

ヨゲ、茂木に鉄砲通り、

サーフィン研究所、

ドラグラ会館と固有名詞を出しつつ運転しているからです。

【お知らせ】

千葉に戻ってくると、

カレンダーの組が出来ていました。

来年の2020年版の特徴は盛りだくさんです。

今年の2019版よりも132%も大きくし、

展開時(使用サイズ)がA3(297×420mm)となりました。

サーフボード用のサイズ変換表等の便利機能を改訂し、

ちょっぴり度量衡(どりょうこう)を充実させました。

さらに自然界で大切な360方角、

八卦、八方位、

四方位、十二方位を尊載し、

日本の休日、祭日はもちろん。

新月満月表記、

各地の平均水温、

二十四節気(にじゅうしせっき)

アメリカの休日やイベント、

デューク・カハナモクの誕生日だとか、

ワックス表、夜明け時間と、

あれもこれも網羅し、

サーファーにとって、

または自然界で生きていくのに必要なこと、

思想のアイディアとなる情報と直感を網羅した

『2020マトリックス・カレンダー』

が完成しました!

さらに報告はまだまだありまして、

マトリックス・カレンダーをご購入された方には、

『2020イマジン・カレンダー』

をサービスをさせていただきます。

イマジン・カレンダーは、

名前の通りビジュアル重視で

かつ想像力やインスピレーションを高め、

癒しだったり、

爽やかさ、

または海に行きたくなる気持ちだったり、

前向きになれるメッセージを入れこんだマトリックス同様、

各月表示の全28ページの、

コート135kg紙を使用した本気波乗道カレンダーです。

こちらを同梱させてください。

【NAKISURFカレンダー2020ダブル】

どうぞよろしくお願いします。

初回分はもちろん限定数です。

年内までのお届けの先行予約は、

こちらよりお願いします。

https://www.nakisurfshop.com/SHOP/2020kabe.html

もうひとつお知らせがあります。

伊豆に行く前にフルジップ・パーカーを染めました。

この色に染めた理由は、

「朝陽色を着たかった」

からで、

しかも手染めにこだわったのは、

これから登場する四国の永原レキくんではないが、

限定的な材料で、

彼のように崇高な気持ちとなって、

熱い湯を使って、

サーフィンの真言を唱えるような気持ちでゆっくりと染めた。

工場などは使わずに手で染めたのは、

ミニマルにふんわり発色させたかったから。

10オンス素材は、

重からず、軽すぎずというところと、

素材を綿100%にこだわったのは、

着心地はもちろんのこと、

海上がり、

湯上がりにバスロープ風に着ることができるから。

風のあるときはフードで風よけにもなり、

かなり便利かつ、

ハッピーサーフ・テイストの衣料です。

こちらに少し詳しくございます。

どうぞよろしくお願いします。

NAKISURFオリジナル『EAGLE』手染めフルジップ・パーカ発売開始です!

さて、

『アンディ・ニエブレスたちと南伊豆と吉佐美、下田』

まとめ三部作は、

昨日の中編を経まして、

最終日です。

第一章、前編はこちらをクリック

Hallie Rohr

.

ヘイリー・ローと、

Andy Nieblas

.

アンディ・ニエブレス、

Makala Smith

.

そしてミケイラ・スミスの伊豆へのサーフトリップ。

北東風だったり、

東うねりとあって、

なかなかのものとなった。

サーフ後の朝ご飯はたいてい田牛の交差点にあるファミリーマート。

ここにはイート・イン・スペースがあり、

アンディは、

ここでジャンク・フードの郷愁に浸っていた。

ナカグロ(・)を単語のあいだに入れるのは、

片岡義男先生風というところでやっている。

そういえばカタサバ先生の原稿がないぞと、

ドラグラ編集員の数人の顔が思い浮かび、

カタサバ先生邸の近所というか、

車で90分くらいのところにいる河合和尚に連絡してみると、

ちょうどマグヤン(旧名ツナくん)と、

宍喰まで行って、

空海の弟子のひとりとされる永原レキくんを訪問していたという。

で、

河合和尚をもってしても

「カタサバ先生はどこに行ったかわかりません〜」

そんなことになっている。

ならば、

タヌーマンはどこにいるのかと調べると、

タヌくんもこの写真を最後に消失していた。

あこがれのアンドリュー・キッドマンと一緒にうれしそうなタヌ氏。

赤を基調としたトップですまし顔のAK氏。

ふたりは何かのことで情報を交わしたらしいですよとは、

この写真を撮ったハイカラ・マコトくんからのSMSにあった。

これは少し前、

稲取が復活させた「どんつく祭り」から。

この天狗カラスは、

何の神なのかが気になった。

インディアンのようにクラン(氏族、母族)なのだろうか?

昨日の巻末にあったカフェオレ大福の余韻に浸っている。

ここは鈴木直人さんから教えていただいた老舗和菓子店。

下田に来ると、

食べたくなるお菓子として記憶されている。

その直人さんのところに行こう、

イキマショウと、

サーフショップリアルさんを訪問すると、

壁にかかった数々の伊豆銘波に出会った。

「え、これも伊豆デスカ?」

「そうだよ〜」

「伊豆すごいデス!コレモデスカ?」

「いやあこれはノースショアのサンセットだよ〜」

ではこれは?

「プエルト・エスコンディードだよ〜」

ということになって、

アンディは直人さんのサーファーとしての幅を知って、

とてもうれしそうな顔をするのだった。

歴史的な逸品があった。

それはマーク・リチャーズだったり、

ジェリー・ロペスというようなもので、

アンディはそれに触れ、

自身の魂が振動するのか、

鼓動するかを確かめていた。

アンディが、

アーモンドのボード・チャートにサインをし、

みんなで記念撮影を!

この後、

幸せのサーフスクール・コーチのケイくんお店に戻ってきて、

「フナキさんの、昔の記事見つけちゃいました。これです」

どれどれ?

あれーファインだ〜。

なつかしいなぁ。

1980年代のファインは、

発行部数がすごく、

若者の大半は読んでいたのだと思う。

そこでは、

なんと私がアンドリュー・キッドマン調に赤くなって、

どりゃあぁ!っとエアをしているショットと、

(実際にはシャッターを押すタイミングが早すぎて、

ドッカーンと飛んだエアには見えないが、

ファイン写真はたいていこんなもの←プロとしての意見で)

ワキタくんがカットバックしているのがあった。

1988年なので、30年以上も前の話となる。

伊豆の人の誇りである多々戸浜に行くと、

トロちゃんこと、

トロピカル松村直斗さんファミリーがサーフしていた。

サバー!

こちらが

昭汰くんに早織さん、

そしてトロちゃんのサーフ・ファミリー。

トロちゃんは、

ポパイやブルータスなどファッション誌に記事を書きつつ、

ドラグラ・プロダクションズの大切な編集者でもあります。

こんなきれいな海で遊ぶ休日っていいなぁ。

ほりくん、ハナちゃん、

鉄郎くん、メーテルさんに久野さん、

そしてソウタロウくんに佐々木くんと、

昨日登場した今村厚さんもサーフしていた。

すごい人気の浜であります。

このトロちゃん号にアンディが反応したのは、

昭和レトロの名作だからに他ならず、

そして、

私は北東風の石廊崎周辺で新しいブレイクを探したく、

もう少し伊豆に残ることとし、

DTI(ダクトテープ・インビテーショナル)ご一行は、

トロちゃん号で湘南を目指し、

その後、ラーメン博物館などを経て、

羽田空港からフライトすることになった。

さよならみんな。

トロちゃんファミリーありがとう!

(トロちゃんはすでに式根島にいる)

こんなに楽しいサーフトリップはめずらしい。

まだ24歳程度と若いのに、

外国でこれだけ文化をリスペクトできるのはさすがだ。

民宿も静かに、

きれいに使って、

宿のおばあちゃんも驚くチェックアウトが物語ように、

品のある、上級なサーファーでした。

波乗りは破天荒で、

宇宙クラスだけど、

マナーは一級というグレイトなるサーファーたちにありがとう。

私は彼らから色々を学ばせてもらい、

波乗道は、

さらに熱くなり、

そしてどこまでも伸びていくのでした。

Happy Surfing and Happy Life Style!!

【サーフィン研究所】レイルワーク=接着_ビーチ基地の有効性_ちょっぴり昔話_(1287文字)

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Tyler Warren’s Dream Fish 6’7″

Nakisurf Original Twin

.

切り立った斜面。

オンショアでなのか、

波が出来立てだからか、

やたらと斜面が揺れた。

波から振り落とされないように、

押し出されないように波壁にレイルを立てていた。

これをレイル・ワークという。

ある具体例がこの『接着』である。

詳しくは以前書いたので省略してしまうが、

(巻末リンク*1を)

インスタグラムにそんなことを投稿しようとして、

英語にするにはどんなものだろうか?

日本語で考えると、

どこにも意味が伝わる単語はなく、

結局は行為であるPressureを派生させて、

Pressurizeを使ってみた。

プレッシャーライズとは、

圧を正常に保つという意味。

どうでしょうか?

これがなかなか近いという判断です。

若きバレルマスターのアンジェロが、

奥さんと、

赤ちゃんを連れてブレイクまで来ていた。

彼はこうして基地を作って、

彼女たちがくつろげるようにしていた。

基地を作るのは、

私もやるのだが、

飲食や音楽を持ち込んで、

喉が渇いたら、

疲れたら、

混んできたら、

するりと上がって、

波を見ながら一休みする基地の有効さをここに。

これは数年前の私の車内。

チャンネルは自分でシェイプしたもので、

真ん中の6’2″は、

いつかどこかでかなりの波にも乗った幸運なるUNX-Sだ。

[特大号]さよなら総帥ジェダイの騎士よ_BLUE誌の文体で書く伊豆の旅_(3131文字)

さらにさかのぼって、

今から8年前に、

NAKISURFサンクレメンテ店があった。

詳しく書くと、

私が刷ったTシャツや逸品の衣類系の店だ。

(巻末リンク*2に)

そのときにお世話になったのが、

サンオノフレ・サーフカンパニーのディーンだ。

彼が大家で私が店子。

そんなことで知り合って、

今では彼の親友であるジョーイに譲り、

その卓越したクラシックさで、

上級なるサーフブランドとなり、

ディーンは奥さんの故郷エクアドルに越していったけど、

ブランドは今も太く続いている。

伊豆にも一緒に行ったヘイリー。

彼女が使う

「サンオノフレ・サーフカンパニー・ブランケット」

のIGポストがあったのでリ・ポストしたのがこちら。

私があそこにいた頃からあるメキシコ・ブランケット。

とすると、

9年間に渡る定番商品で、

もっと書くと、

NAKISURFの福袋にロゴ無しでこれを入れた年もございます。

薄れゆく年月を思いだした日。

ちなみに本日は高知龍馬マラソンで、

これから大雨の予想である。

京都のみやさん(@miyata1717)は、

「(雨だと)シューズが濡れて足裏がふやけるので、

マメ対策をしなくては」

そんなようなことであるらしく、

福井の@fgver2さんは、

「土佐鶴の純米酒をやっています」

とおっしゃる。

こちらは高知ムロトは、

日本酒の産地なので濁り狙いですと返信して、

日本酒の和がつながっていった。

これは長女カイラがいる中央カリフォルニア。

色彩が艶やかで、

この乾いた空気感も伝わってくるようです。

【巻末リンク:接着とは?】

【サーフィン研究所】タヌ・ビーチ模様_接着の具体例_(1854文字)

【巻末リンク*2:サンオノフレ・サーフカンパニーとNAKISURF】

本日二度目のブログ(下)_趣味のスクリーンプリント_Seea(シーア)のサーフスワップミート@デウス_アボットキニー通り_クリスチャンの日本語_(2447文字)

Happy Surfing!!


【サーフィン研究所移動日】励まし、寛容で前向きにする日_伊豆回想編&室戸スカシー@高知新聞_(2033文字)

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こんにちは、

いかがお過ごしですか?

私は伊豆よりさらに800km南下しました。

各地からさまざまなニュースがやってきますが、

こういうときは、

励まし合い、

優しく、

寛容で前向きでいられますように。

これから緊急事態宣言が出ると報道されているが、

どうかくれぐれも、

そして無事でありますように。

今日もバタバタ忙しくさせていただいている。

作業いろいろのあいだに移動しつつ、

各誌原稿を書いているから。

もうすぐ目的地まで到着する。

Blue誌の原稿が思ったように完成し、

このことが次号に載るということは、

私たちのサーフィン世界がさらに輝くことを意味している。

この「私たちの世界」というのは、

サーフィンのサブカルチャーのことだ。

よって、

普通の人にはなかなか理解されない。

けれど、

私のコラムを読んで『多様性』というものを感じてくれたり、

この愉しさを理解されるサーファーがひとりでも増えたら、

という思いです。

週末にかけて、

『72時間スーパータキビ神ロングスリーブ』

の受注をヘア・カリフォルニアとNAKISURFでコラボしました。

そして、

それはたくさんのオーダーをいただきました。

こんな時に本当にありがとうございました!

この場をお借りして厚く御礼をもうしあげる次第です。

DGP Keisuke on

Catch Surf x DFW x NAKISURF 7’6″

.

私は自身でかなりの体力があると思っていたが、

このケイスケは私の倍以上体力があると推察される。

例えば、

伊豆まで6時間もかけてやってきて、

サーフィンを3ラウンドやっていた。

伊豆と言えば直人さん。

直人さんはサーフショップ・リアルさんのオーナーであり、

鈴木直人プロであり、

吉佐美という地の暖かさ、

大らかさがそのまま性格となったような、

おいしい柑橘系のようなサーファーである。

彼が愛する入田浜での一枚。

アッチーは、

今村厚プロであり、

年齢を聞くと「49歳です」という。

あっという間にそんな歳になったと驚くが、

自分も同じだけ加齢しているので、

そう考えると、

アッチーも昔から変わらずにサーフしている。

正義感が強く、

真面目で剛健なサーファーである。

Catch Surf Skipper Fish 6’0″

Nakisurf Original Twin + Tyler Warren’s Twin(Mega Quad)

.

ストールという技があるが、

かんたんに言うと「減速」である。

加速も楽しいが、

減速も不思議と楽しく、

そしてライディング構成には、

加速と同様に必要不可欠なものである。

こうして加速しては、

減速して波に合わせる。

合わせるというのは、

速度もそうだが、

滑走ラインの高低もある。

サバ手になっている!

普段からしているので、

こういうときに成果が出るのだろう。(笑)

レイルが極まれば、

はっきり言ってどこに立っても

「完全なる滑走」ができる。

高速で斜面を1本線で滑る幸福。

マンライ満足!

マンライというのは、

満足ライディングから来ていて、

決して満点ライドではない。

これはJPSAの公式ベテランジャッジのオガマさんと、

抱井さんたちが提唱したことなので、

やはりサーフィンの重要さは、

競技で定められた得点や順位ではなく、

『各々(おのおの)の印象』だということがわかる。

旬のものをいただくと、

免疫力が上がる。

このウマズラハギがやたらとおいしそうで、

刺身でいただけるのだろうか?

鍋?

冷凍されていない鮮魚も旬なのだとわかる。

ヨコタの燻製。

好物のひとつで、

サバが絶品で毎回感動させられる。

ヨコタさんの唯一の欠点は、

サンマの塩が強すぎることだ。

他の魚種は良い塩梅なので、

ヨコタさんは、

その昔サンマにひどい目に遭ったのだろうか。(笑)

南伊豆の道の駅で、

絶品中の絶品は、

保坂寿子さんの「田舎寿司」が横綱だろう。

すきやばし次郎のジローさんは、

勉強しにくるべき味とさえ思える。

またはミシュランのビブグルマンだろうか。

どちらにしても、

良き温泉町なので、

こうしたメジャーは来ない方が良い。

よって、

いつものように全てのヒラメキを打ち消した。

私たちのアイドルであるジローくん。

これは去年のジローくん。

たった1年とは思えないほど幼く見える。

それだけ成長しているのですね。

私のサーフボードはこうして積み上げられて、

NAKISURFバンに収納されている。

これは4年前の河合さん@NAKISURF。

私シェイプをオーダーくださりお渡しした朝です。

彼はいま東京を離れ、

高知県室戸岬で空海由来の

ゲストハウス『スカイアンドシー・ムロト』を運営されている。

私たちはスカシーと呼んでいるのはあまり知られていないが、

そのスカシーが昨日、

河合さんごと高知新聞に特集された。

ありがたい。

あいにくこんな時期ですが、

またみんなが安心できるときが来ましたらどうぞご利用ください。

とても良い、

エッジーでエナジーな施設です。

Happy Surfing!!

【サーフィン研究所移動完了日】ちょうどスーパーピンクムーン_美しい土佐桜と、淡路島の龍_伊豆風味_(1647文字)

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月齢14日。

8日(水)の11:35、

天秤座の満月。

しかも今年唯一のスーパームーン日は、

宇宙元旦と惑星の並びがほぼ同一だとあった。

ネィティブ・インディアンたちが

『ピンクムーン』と呼ぶ月が浮かんでいる。

大変な時期ではありますが、

もし晴れていたら空を見上げて、

この月を探してみては?

さて、

緊急事態宣言が発令された。

ずいぶんと遅かれた感はあるが、

これで感染拡大を食いとめられたら、

という思いである。

どうぞくれぐれも健康と免疫力、

そして前向きな精神で過ごしましょう。

この事態が終息すれば、

コロナ以前とコロナ以降として、

いままでとは違う世界と価値観が登場するのでしょうね。

ご存じのように私は元々テレワークであり、

コロナ禍は、

2月上旬頃からかなり気にしていた。

まずは換気の悪いところで外食はしないようにし、

大好きな回転寿司も映画館も封印し、

卓球場にも行かず、

サーフィンをしても無人のところを探してやっていた。

千葉の一宮町は、

この騒動の最中、

仕事が休みの人が多いのか、

茂原に行けば、

パチンコ屋の駐車場に車があふれていたり、

ほぼ普通通りでこちらが驚かさせられた。

湘南の友人に聞いてみると、

毎日電車に乗って東京まで行き、

会社の食堂でランチをし、

夜は居酒屋とやっていたそうだ。

これでは感染者が増えるので、

この緊急事態の発令が遅かったと書いたのである。

土佐のガシラハウス、

ブルードラゴン邸に戻ってきた。

「カタサバ先生が使わないあいだ」

ここはそんな約束であるので、

4月7日からおじゃましますと、

千葉を出て伊豆に行き、

そのままのんびりと南下してきた。

すると、

ガシラハウスの桜が満開だった。

正確に書くと、

家の50m左に崎鼻という小さな岬の上に咲いていた。

今年はご存じのようにいろいろあって、

花見に行けていなかった。

ちょうど桜が大好きだった母の命日。

他の桜はすでに葉桜になっていたけど、

なぜかこの桜だけが満開という不思議があった。

これは道中、

淡路島の淡路SAからの空。

龍が笑っているようだった。

そうこうして、

のんびり、

のんびりと土佐に到着したのであります。

土佐のみなさん、

どうぞよろしくお願いします。

もしものことがありますので、

私と濃厚接触しないように室外で2m離れてお話しましょう。

そんな話をしんじょうヤスくんにしたら、

「種間寺付近で出ました」

そんなことになっているので、

千葉一宮町と似ているような感染被害のようだ。

さて、伊豆の写真がまだあった。

激烈波でサーフした余韻と、

忘れられない記憶があり、

友人たちの顔を思い浮かべていた。

良い波だけど、

無人なのは、

多くのサーファーがこの激烈なる波、

つまり波師範と組手をすることを避けるからであろうか。

サーフィンは武術であり、

心技体を磨くものとすれば、

年齢や性別が関係なくなる。

全ては自身のコミットメントなのであります。

車中泊なので、

カセットコンロと鍋さえあれば、

この汁なし胡麻担々麺が完成する。

ポイントは7分30秒茹でた半熟玉子に、

法王のお好きなブロッコリー・スプラウト。

もっと言うと、

このダイソー謹製タッパーが、

感激的な味覚を引き出すのだ。

2+1のタイラーに、

NAKISURFオリジナルのツインフィンを装着し、

さらにはメガクアッドのスキッパーフィッシュ。

自由な発想で、

感動的な滑走を手に入れたと自負している。

伊豆を離れるとき、

土曜日だったから5日のことだ。

その味覚で、

心を桜吹雪に包んでくれた伊東の西風鰤(ブリ)というのがあり、

(巻末リンクを参照ください)

その感激を追体験したく、

伊東の超名店というスーパーに行くと、

遅い時間にも関わらずボブさんが作業されていた。

「ブリもおいしいけど、これも絶品だよ〜」

そう絶賛推奨された白ウマズラハギも購入し、

すぐにいただくと、

「これは!」

おいしくてうなってしまった。

さすが伊豆。

白身魚までも絶品春味でした。

【巻末リンク:伊東のブリとボブさん】

【サーフィン研究所:特大号】伊豆西風のサーファーと銘ブリ_(2790文字)

Happy Surfing!!

【サーフィン研究所】ピンク・ムーン_フォトスマイルの笑顔を撮す表情_ペンギンの肉の味とは?_(1111文字)

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昨日は、

惑星の並びが

『宇宙元旦』

とほぼ同一だったという。

今年唯一のスーパー・ムーン日で、

ネィティブ・インディアンが

『ピンク・ムーン』と呼んだ月が、

青龍寺の上を昇ってきた。

燃えるような色をしていた。

不思議だけど、

夕陽や朝陽と同じ原理で、

光が大気の中を長い距離で届く。

(夜明けと日没時には斜めに届く)

このプロセスにおいては、

波長の短い青い光が消失し、

赤い光だけが見えることで陽の色が赤くなるのです。

2020 Super Pink Mooon

.

この月の光は、

太陽光に照らされて地球に向けて反射した光が、

太陽と同じように赤い光だけが可視化できる。

@photosmilejp

.

緊急事態宣言以前の伊豆に話を戻すが、

感染者が出たとかそうでないとかで、

千葉と同じようになっているという。

人が離れたところでするサーフィンで感染はしずらいが、

道中のレストランや宿に菌を持ち込む、

または持ち帰るということもある。

どちらにしても今は耐えるのみである。

@photosmilejp

.

さて、

佐々木さんという写真家の方がいらっしゃる。

以前にもここでご紹介させていただいたが、

(巻末リンクをごらんください)

インスタグラムは、

@photosmilejpでポストされている。

元柔道家で、

そして勤勉な好漢である。

彼は、

「サーファーの表情」

にこだわってシャッターを押しているという。

サーファーが笑顔だと、

サーフィンの愉しさが伝わり、

震えるほどうれしいという。

@photosmilejp

.

ケイスケの表情。

花マル100点。

@photosmilejp

.

ケントとカリンの表情。

オール5。

@photosmilejp

.

そしてニノちゃんたち。

@photosmilejp

.

ケントくんは二郎くんの親友だ。

なのでジローファンの私などは、

彼にジロ情報を求め、

多面方面からジロくんのロケン・ロールしている。

(巻末リンク*2を参照ください)

@photosmilejp

.

ケントくんの表情を見て、

また佐々木さんのお顔を思いだした。

@photosmilejp

.

ナッキーのバリマギ。

@photosmilejp

.

田舎寿司のシイタケを食べているときにケントくんたちに、

「何食べているの?」

そう聞かれたので、

「ペンギンの肉だよ」

と言ってみると、

みんなぎょっとした。

シイタケ=ペンギン説は、

リリー・フランキーさん由来であるが、

イメージというのはそういうものである。

スイカ嫌いの人がいて、

パクチーもそうだけど、

香りが何かを連想し、

苦手になるというプロセスのようだ。

示唆的に書こうとしたが、

うまく書けなかった。(笑)

【巻末リンク:伊豆の佐々木さん】

伊豆の佐々木さん_サーフ写真家への対価_(2321文字)

【巻末リンク*2:二郎くん】

【ドラグラ・プロダクションズ:鋭意号】かんたんジロくんのロケン・ロール_(1404文字)

Happy Surfing!!

 

【サーフィン研究所】超朝型の日々_準備期間_11年前_(1494文字)

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夜明け。

この時間のために夜明け前には起きて、

いろいろを終わらせて、

ゆったりとこれを見る。

思えば、

アメリカに移住したとき

(1994年)からテレ・ワークを始めた。

元々夜型だったので、

夜中にマッキントッシュ6100を使い、

ことえりモードでカチャカチャやっていた。

あれから26年。

パワーマッキントッシュがMacBookプロに変わり、

フロッピーディスクやポケットベルがなくなったが、

車は車のままであり、

冷蔵庫もトースターも靴もあのときのままである。

そしてサーフボードなどは、

さらに逆行して1970年代のものを乗っているのは、

ノスタルジックな気持ちではなく、

良いモノは良いという認める心だろう。

ここで自称ベテラン・テレワーカーの私からアドバイスをひとつ。

「テレ・ワークで協調性を必要としないのであれば」

という注釈が付くが、

「超朝型にすると効率が良い」

見出し4の赤字で書いてしまったが、

元々はドナルド・タカヤマさんに教わったことである。

NALU誌の取材で、

タカヤマさんに会いにオーシャンサイドに行く。

かなりの回数だったが、

待ち合わせの時間はいつも9時。

取材に行くと、

ゆっくりとサーフボード工場の見学をさせてくれて、

それからサーフィンを一緒にして、

ランチを食べて、

さらには彼の自宅まで連れていって、

彼のプール付きの邸宅を愛犬と共に自慢してくれた。

「ドナルド、私と一日一緒にいて、

仕事の邪魔になっていませんか?」

ある日、

そう聞いてみると破顔一笑し、

「ナキ、俺は8時で仕事が終わっているんだよ」

まっすぐとこちらを見て教えてくれた。

彼は朝というか、

深夜の1時からシェイプルームに来て作業していて、

誰にも邪魔されずにシェイプを研ぎ終え、

弁当を摂りつつ、

8時に出社してきた工員たちとコミュニケーションを取り、

終業するというスケジュールだった。

シェーン・ドリアン師範と一緒にいたとき(巻末リンク)もそうだけど、

私は感化されやすいので、

タカヤマさんのように1時は無理だけど、

4時には起きようと決めて、

いまだにそれを守っている。

最近はリズムが早くなり、

3時には起きているけど、

いまの夜明けが5時台なので、

このパワフルな時間まで2時間は作業できる。

もっと言うと、

たいていはこのブログもこの時間に書いている。

ときおりタカヤマさんのことを思いだし、

同時に石田さんやジョエル(チューダー)のことを。

そして野茂英雄だったり、

サンクレメンテのいろいろを思いだしていた。

↑タカヤマさんが晩年、

残された言葉で、

サーファーたちは、

いまこの言葉をかみしめてみると良いかもしれない。

テリトリー意識は、

タカヤマさんのいたサンディエゴより日本の方が高く、

日常生活の人間関係を大きく飛び越えている。

寛容に穏やかに、優しく冷静に。

最近よく聞く言葉だが、

これを機にそういう人が多くなりますように。

Catch Surf Skipper Fish x JOB 6’6″

Nakisurf Original Twin +Vektor VT

.

爆弾低気圧波と薄着の私。

またこの波に入るまで、

スクワットと腹筋、

腕立て伏せを繰り返す。

準備期間で鍛錬するのは、

この冬もここでしていたことだ。

暖まったら体調がさらに良くなった。

おかげで伊豆のあの波も、

チバリーズのこの波も乗ることができた。

こうしているあいだに水温はどんどんと温まっていく。

大雨が去った。

ウイルスよ流れろ。

【巻末リンク:11年前のシェーンドリアン師範】

エルサルバドル14日目_最終日_楽しく、厳しく、暑く、激しく、熱い14日間_佳きものをおいしく食べて、体をたくさん動かし、太陽と風、そして海に感謝し、友と食と波、そして時間を分かち合い、家族を想い、考え、眠り、休み、歩き、走り、泳いだ日々

【巻末リンク*2:サーファーズ岬の師範たち】

【サーフィンとは技ではない。総合的なもの。人間力の集大成】サーファーズ岬での先輩たち_(2097文字)

Happy Surfing and Happy Life!!

【サーフィン研究所&ドラゴン・グライド・プロダクション】ナッキー(フラッフィー)のテイクオフ_最近の気焰by摂政瀧朗_スティーブ・ジョブスと九ちゃん音頭_(1548文字)

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Nacky on

Catch Surf Skipper Fish 6’0″

Nakisurf Original Twin + Tyler Warren’s Twin(Mega Quad)

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いつだったか、

これも過去。

ナッキーのテイクオフ。

きちんとレイル側にスタンディングして、

グラブレイルの位置も飛翔感もすばらしい。

先生がうれしかった瞬間でもあった。

瀧朗がこんなことを言っていた。

「いま起きているそれぞれの瞬間に、

これはプロパガンダなのか、

それともジャーナリズムなのかと迷います。

それら全ては、

日常生活を構築するさまざまな可能性を反映しています」

生まれて初めて自分でシェイプしたボード。

そのボードで乗った波。

.

「ほうほう」

「さまざまと言うのは、

知見、

予示、

芸術、

文化、

感情、

風習および行動です。

業種も人種も食も海流、

気流もさまざまありますが、

それらの判定を迷ってしまうのは、

僕に取っては衰弱している証明です。

僕にとって最も重要な

『自信』というのが喪失している証なんです。

共同社会はですね、

各々が構築した経済は止まらない、

止めることが困難だということに気づいたのです。

“社会は、恒久的に回転し続けなければならない”

そう気づかさせられたのです」

「——」

「いま全世界はこれを体験しているのです。

それはどんな言語の、

高度も深度もあまなく含めています」

「——」

「宗教のそれぞれ、隅々までも、

文化的だとかそうでないとかの差別をもたずに浸透していくわけです。

生活が変わったのです。

法王は、

このことを暫定的に

『原価値の創造』と発言されていましたが、

これは展望においてのみ定義しているので、

それらの価値に対して教育があるのか、

未来にはどうなのか、

それらの余地、

すべての具体性を検証中と言ったところでしょう」

最後に彼は

“I meant it”と言った。

これは「本気です」

という意味で、

でもどのところが本気なのかがわからなかった。

そこで、

タキビ神に相談すると、

「それはジュラシックな瀧朗さんということではないでしょうか」

そんな句読点がない説法を受け、

なんとなくわかったような、

それでいてわからず、

映画の時間のタイムがやってきたので、

『スティーブ・ジョブス』

という2015年の映画を観た。

すると、

「シンプルに生きることで大きな幸せを得ることができる」

そんなメッセージを得た。

「シンプルに生きる」

これを目指すときが来たのかもしれない。

それはシングルフィンでもあるし、

滑走ラインのことでもある。

Catch Surf Skipper Fish 6’0″

Nakisurf Original Twin + Tyler Warren’s Twin(Mega Quad)

Photo by @photosmilejp

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聖式カルちゃんと電話で話しているとき、

このことを突然思いだした。

「シンプルに生きることについて」

一気に熱く語ったが、

例によって一方的だったので、

このほとんどの内容がカルちゃんには聞こえなかったらしい。

(神奈川県藤沢市における5Gの不具合)

これも瀧朗の仕業であろうかと空を見上げると、

良く晴れて、

それでいて冬の風が抜けていくような朝だった。

【おまけ】

昨日、

「ネコがサーフィンする」ことをジャーナルするのは、

果てしなく険しいと書いたら、

バリの高間教授から

「ナキさんは、
クリスチャンのところのフラッフィーが、
サーフィンをやっていたのをお忘れになっています。

これが証拠写真です。
リクエストは九ちゃんの九ちゃん音頭をお願いします」

さすが教授。

はい、九ちゃん音頭を探しましたよ。

60年も前に人気だった楽曲なんですね。

Happy Surfing Happy Life!!

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