連載企画です。
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前回、14編はこちらです。
【再び特大号】私の波乗りの歴史_第14編_ピアとドノバン_デウス&モダニカによるLuftgekühltイベント_(3002文字)
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結局サンクレメンテの居心地が良かったようで、
思っていたよりも長く滞在することになった。
前出したドノバンではないが、
(波乗りしすぎて)
自分の持ってきたボードが原型をとどめなくなったこともあって、
クリス・ビリーが使用していた中古ボードを購入した。
この板は、当時としては斬新なほど短く、たったの5’8″だった。
この頃の日本は、センチ表記が主流で、
ファイブエイトといってもチンプンカンプンだったが、
サーフィンの本場の単位に慣れようと、
「自分のファイブテンよりも5センチ短い」
そんな感覚で覚えた。
さらにこのボードは、
当時流行し始めていた深いダブルコンケイブをエントリーロッカーから入れていて、
さらには超幅広の19インチとハーフ。
それは未踏だった49センチ超えのセンター幅だった。
短くて幅広、
そして深いコンケイブだと斜面に張り付いてしまい、
操作性は良くなるのだろうが、速度が出ないというのがセオリー。
だが、そうはならないのが、
最先端のサーフボードシェイプで、
ソフトレイルと、テイル・リフト、
さらには全体的なフォルムで完全調整してあった。
ひとたび乗ると、よく走り、ターンも軽く、
さらには自分とのマッチングの楽しさに魅せられてしまい、
さらには日中のオンショア時でもボードは跳ねずにターンがつながっていった。
こんなサーフボードがあるのか!
そう感銘を受けた。
あえて乗り込まずに「日本の試合で使おう」と温存することとし、
ボロボード、しかも長めの6’8″でサーフを続けていた。
そんなとき、
突然ジョー・マクナリティがやってきて、
「今からメキシコに行こう。波いいぞ」
そんなことになった。
ジョーはテレンスの弟で、マクナリティ兄弟の末っ子。
当初はテレンスと仲良くしていたが、
彼が面倒になって弟に私を押しつけた形だが、
ジョーは常におだやかで、
サーフィンについて知的な説明ができる人だった。
それが楽しく、彼とサーフする日が多くなっていた。
彼の家にあったサーファー誌を開くと、
トドス・サントスの35フィート波にテイクオフしている写真を見つけた。
キャプションを見ると、
Mexico Todos Santos
Hell Man Joe Mcnultyとあった。
ジョーがこんな波に乗っているとは夢にも思わなかったが、
サンクレメンテのサーファーは怪人だらけなので、
別段それが不思議でもなかった。
もしかすると、
これから行くメキシコはこの波なのかもしれない。
Todos Santos, Greg Long
覚悟を決めたのだが、
体が小刻みに震えてしまい、
「その1週間くらい野宿する支度」がはかどらなかった。
出発前に「パスポートは持ったか」
と国外に出ることを再確認され、
南向きにジョーのネイビートラックが向かっていった。
サンディエゴからメキシコ国境に入ると同時に、
ジョーがカセットテープを変えた。
カーコンポから流れてきたのは、
グレイトフルデッドのリップルだった。
If my words did glow
with the gold of sunshine
And my tunes
were played
on the harp unstrung,
Would you hear my voice
come through the music?
Would you hold it near
as it were your own?
It’s a hand-me-down,
the thoughts are broken,
Perhaps
they’re better
left unsung.
I don’t know,
don’t really care
Let there be songs
to fill the air.
Ripple in still water,
When there is no pebble tossed,
Nor wind to blow.
Reach out your hand
if your cup be empty,
If your cup
is full may it be again,
Let it be known
there is a fountain,
That was not made
by the hands of men.
There is a road,
no simple highway,
Between
the dawn and the dark of night,
And if you go
no one may follow,
That path is for
your steps alone.
(歌詞を音節で改行しました)
カリフォルニア国境からのメキシコは、
危険な場所だと聞いていたので、
少し緊張していたが、
この曲を聴いた途端に気分が軽く、明るくなっていった。
夕方のティファナの街は、極彩色だらけで、
この音楽の効果からか、それがさらに濃くなって見えた。
目的地はトドスサントス付近のエンセナダ周辺で、
たかだか3時間弱の行程予定が夜の10時に到着したのは、
途中のレストランでジョーがパシフィコビールを飲みすぎたからだと思う。
(私は30歳まで酒が飲めなかった)
ジョーはその酔った運転で街を抜け、
砂利道をひた走り、
周囲何キロは何もない荒野の真ん中にトラックを停めるやいなや、
寝袋をごそごそとトラックの横に出して、すぐに眠ってしまった。
歯磨きをしなくてはならない
寒くなったら運転席キャビンで寝よう
でもこのシフトノブが邪魔だ
そんなことを考えていた。
用を足そうと外に出ると、
新月だったのか、
今まで見たことのない鮮明な星空が拡がっていた。
天の川とは、ここまで明るいのかと興奮し、
眠れずにずっとそらを見上げていた。
ちなみに「そら」と平仮名にするのは、
この時からで、宇宙や空の両方を表現できると感じている。
朝になり、
ジョーも起きてきて歯磨きをしていると、
遠くの山の上から黒のピックアップトラックが降りてきた。
「行くぞ。荷物をまとめろ」
なんだか悪いことが起きる気がしたが、なぜかジョーはうれしそうだった。
そのトラックが近づいてくると、
それは往年の名サーファーのジャッキー・バクスターだった。
彼はジョシュの父親でもあり、不良軍団の親玉でもある人だった。
「夜中来たのが見えたけど、もう眠っていたからそのままにしておいたぞ」
「街の近くで眠ろうと思ったのですが、危ないからこの敷地まで来てしまいました」
「それが良い、悪い奴はこの辺りにたくさんいるからな」
まるでハンソロとジャバザハットの会話である。
©STARWARS
ジャッキーは、
なぜか悪い単語であろうスペイン語を言いながら、
ジョーの話を打ちきり、
「良く来た」
そういって満面の笑顔でボクと握手した。
なんでもこの敷地と山全てが、
ジャッキー・バクスターが購入した土地で、
将来はここでホテルとかレストランをやりたいと、
広大なことを言っていた。
さらには、「この前でもサーフできるんだぜ」
そう言って、海が見える砂浜まで歩いて行くと、
ジョーとジャッキーは一瞥しただけで、
「良くない」と海に背を向けてしまった。
近所を車で走ると、
ポイントブレイクだらけで、
それらのほとんどは無人の極上波だったが、
水温がカリフォルニアよりも冷たく、
「温かい側の緯度に来たのになぜ?」
そう聞いてみると、
「海流の関係でこっちのほうが冷たいんだ」
そうらしい。
そんなこんなの半野宿生活が始まり、
いい波に乗り、
おいしいメキシカンを食べ、
メキシコ最高という日が続いていた。
そんなある日、ジャッキーの家でのんびりしていると、
「(遠くの門に)誰かが来ました」
双眼鏡を持ったジョーがそう言うと、
それを受け取ったジャッキーは5秒ほどすると、
「おもしろいことになった」
ニヤリとしてうれしそうに母屋に入っていった。
そのシボレーのボロバンはどこかで見たことがあって、
(前回のネイザン・フレッチャー登場の項)
中から出てきたのは、
サンクレメンテのオヤブンを通り越し、
サーフ界のオヤブンであったハービー・フレッチャーと、
当時アストロデッキのサーフムービー
『ウエイブ・ウオリアーズ』を撮っていた相棒ジミーだった。
Herbie Fletcher 1964
Pipeline Side Slip Boogie
Photo by Jeff Divine
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明日に続きます。
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