こんにちは、
春真っ盛り、いかがお過ごしですか。
こちらはほんのりと西うねりが入ってきて、
少し波乗りライフにスリルがやってきました。
なんでもこの冬最後の西うねりだということもあって、
「初もの」はもちろん珍重されますが、
「最後の」というのもなかなか喜ばれるものだと気付いた。
さて、長く続いている連載は、
そろそろ終盤なのですが、
記憶が新しくなっていくので、
全く終わる気配がなさそうなので、
どこかで線を引き、
ありがたいことにこの出版のお誘いを受けているので、
その際に詳細を執筆しようと思っている。
それに加えて、
Blue誌のコラムの締めきりもやってきて、
さらにはNALU誌、SENSE誌とあるので、
そちらにも注力していこうと決めた今朝。
メキシコまで野宿旅にやってきて、
伝説のハービー・フレッチャーと会ったところまで書きました。
【もうすぐ終了の特大号】私の波乗りの歴史_第15編_メキシコ、ジョー・マクナリティとハービー・フレッチャー_(3578文字)
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ハービー・フレッチャーはアストロボーイズ、
つまりウエイブ・ウオリアーズの撮影にメキシコにやってきていた。
ーー現在もそうだがーー
当時から不良帝王のハービーのことである。
車の運転が派手なのはもちろんのこと、
当時は年配の人が乗るものだったロングボードで、
テイルを抜いたり、大波に乗ったりと、
それは斬新なサーフィンをしていて、
さらにはジェットスキーでパイプラインにも乗っていた。
彼本人は、その確固とした自信に満ちあふれていて、
「余は、ハービー・フレッチャーであるぞ」
そんな人だった。
私が日本でアストロデッキとライダー契約していたこともあり、
ハービーはボク自作フロントパッド改造版というか、
バラバラ貼りアストロデッキにたいそう感心してくれた。
さらにボクのくるぶしの上には、
トライバル(種族)デザインのタトゥーがあるのだが、
マンハッタンビーチでマイケルという友人に入れてもらった)
ちょうどその目の部分をノミに刺されて赤くなっているのを見て、
「お前はすごい。タトゥに偶然目を付けたのは初めてみたぞよ」
そう言ってたいそう喜んでくれた。
で、ボクはハービーさまとお近づきになれたヨロコビにひたっていた。
(当時のクリスチャン・フレッチャーとマットアーチボルド)
ボクとジョー・マクナリティはすばらしい時間をメキシコで過ごし、
最後にはコンテストに出て良い順位を得て、
凱旋するようにサンクレメンテに戻った。
翌日トレッスルズに行くと、
メキシコでビデオを回していたジミーと再会し、
「ハーブ(ハービーの愛称)は、お前の波乗りをモニターで見て気に入っていたぞ」
そういうので、私は舞い上がってしまった。
というのは、
このハービーが創る『ウエイブウオリアーズ・シリーズ』は、
当時を知る人ならばよくご存じだと思うが、
血が茹だるような興奮を与えてくれる傑作なる魂がそこに焼き付けられた作品群である。
(私の聖書はいまだに『ザ・パフォーマーズ』。↓のリンクにあります)
さて、このウエイブウオリアーズに始めて出会ったのは、
上のリンクにあるハワイ・ノースショア滞在時に
アラモアナセンター1階の暗い角にあったタウン&カントリー。
当時はお金が全くなくて、
定価29.95ドルプラスタックス4%というのは、
何日分かの食費と同等だった。
でも、自分の研究費だと、
ワイメアからテイクオフするように購入したVHSテープは、
ロイ・ゴンザレスやディビ・フレッチャーのアートを散りばめたカラフルなスリーブに包まれていた。
本編は淡々としたナレーションが各サーファーを紹介し、
その次に続々とサンクレメンテ周辺の波でトップサーファーたちがサーフしていくものだった。
そこには、
マット・アーチボルドのレイバック
クリスチャン・フレッチャーの見たことのないエア
マーティン・ポッターのキレとフローター
デレック・ホーのパイプライン
恐ろしかったジョニーボーイ
さらには神さまトム・カレンも登場していて、
サーファーのとっては黄金以上の価値のある映像の連続だった。
このフィルムを見るだけで、
「沸騰できる興奮」というものに包まれた。
今はそう言葉にできるが、
当時は生まれて初めて見たサーカス、
またはスターウオーズ作品内のような世界だった。
この映像はそのウエイブウオリアーズから抜き出したポッツだが、
私の走りすぎる傾向を後押ししてくれたのがこのパートであり、
今見てもすばらしいものだと断言できる。
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明日に続きます。
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