映像作家のジョージ・トリムたちが、
フォードアーズにBBQグリルを持ち込み、
ビールと、
カーネアサダ・タコスをふるまってくれた。
彼の新作『Forbidden Trim』がもうすぐ完成するようで、
現在日本での公開を考えているという。
コールが私用に削ってくれた新作は、
フルレングス・ボンザーボトムが搭載された。
昨日のインタビューにもあったが、
水流をコントロールすることによって、
速度をあげつつ、操作性を高めたという。
さらにはボンザーボトムはもたつくらしく、
瞬時の動きができるように全てのフォルムをいじったのだそう。
ご存じでしょうが、
最初のモデルはマシンカットでは表現できないので、
厚め大きめのブランクスから思うデザインを削りだしていくのは、
昔からのやり方で、
こうなってくるとハンドシェイプの名匠というか、
もはや伝説になってきているコールの独壇場だろう。
デッキ側にはバズーカにもあったコンケイブデッキ、
そしてボード全体の剛性を高めるレイルチャンネル、
テイルリフト、COLE独自のソフトレイル。
エントリーロッカーの位置から入れられたフルボンザー。
「アンディ・アイアンズが生きていたら」
そんなことを反射的に思った。
これにアートを施し、
カーボンファイバー・ストリップを適所に入れるそうです。
楽しみです。
NATIONはサイエンスの粋。
COLEは、刺激的な感動。
こんな冠を付けてみたが、
言い得て妙だと、自分で感じた。
西うねりなので、ミドルスに。
キャッチサーフのシングルフィンで遠き波を乗りに行く。
そんなこともドラマぽいなと思う。
ミドルスも教会岬もつまりトレッスルズは、
サンオノフレに駐車して歩いていく。
この行き方だと、
教会岬を過ぎると、全く人がいなくなるのがうれしい。
トレッスルズの駐車場から行くと、常に人がわらわらといる。
さらにはアッパーズ、ローワーズと、
競技志向のサーファーが多いこともあって、
混雑のイライラを反映してかギラギラしている人(睨んできたりされる)がいたり、
坂の上から自転車やスケートボードが高速で降りてくる人が怖いので、
今までストレスに感じていたが、この行き方だと、
ハイキングみたいに「ヤッホー!」と豊かな気持ちとなるのがいい。
今日は戻ってくると、
ブライアン・ベント、つまりブラ師匠がいて、
1930年代のサーフボード、
つまりボックスを手に入れたので、
その初乗り日だったとご満悦だった。
このボックスにはワックスがほとんど塗られておらず、
「滑らないの?」と聞いてみると、
「こういう風に乗るものなんだ」
「どういうこと?」
「この時代の波乗り箱はスタンスに負荷をかけて乗るものではないんだ」
「なるほど、テイクオフのときに角度を決めたら、そのまま乗っていくだけなんだね」
「その通り」
さすが80年も前のボードだけあって、会話もユニークなものとなった。
これはブラ師匠がこのボードにインスピレーションを受けて描いたもの。
この作品が大好きになったのはここに書くまでもない。
昨日お休みした回想編の続きです。
ボクはジョーとメキシコに行って、
ハービー・フレッチャーに会い、
コンテストに出て良い成績を収め、
サンクレメンテに帰ってきて、すぐに行った場所がありました。
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サンクレメンテ。
旅行者のボクにとっては帰国日が迫っていた。
メキシコ編で書かなかったが、
向こうで偶然出会って、意気投合したのがニーボーダーのロイ。
(COLEのカスタムだった)
「私はポップアートを描いていて、サンクレメンテに住んでいるから戻ったら遊びに来なさい」
というので、
サンクレメンテに戻ってきてからすぐに彼のスタジオに行くと、
ボクと話しながら下書きも何もない紙の上にすばらしい絵をすらすら描いていく。
げげ、これは鳥山明さんのサンクレメンテ版だと、
感動して立ち尽くしてしまった。
少しして、スタジオ内をうろうろしてわかったのが、
このロイこそが、
ウエイブ・ウオリアーズやサンクレメンテ・ローカルズの
カバーアートを描いていたロイ・ゴンザレスだった。
大好きを通り越しているほど、
愛していた映像作品のメインビジュアルのアーティストが目の前にいて、
それは恐れ多くもあり、飛び跳ねてしまうほどうれしいものだった。
1990年代のクリスチャン・フレッチャーとロイ。
マット・アーチボルドたちと同様、
サンクレメンテの濃いキャラクターなのは間違いない。
この画力。
ロイは現代のリック・グリフィンとされていて、
初めて会った頃が、(人気的には)その絶頂時だったと思う。
このときはサーフコミックスを出版したいんだと言うので、
「間違いなく少年ジャンプやマガジンなどに連載されると思うよ」
そう伝えると、
うれしいのか悲しいのかわからない顔をして笑った。
ロイとは、ずっと交流が続いていたが、
彼がバハ・カリフォルニア(メキシコ)先端のリゾート地カボ・サンルーカスに引っ越してから音信がなくなった。
この時ロイは、ガスという現地人と知り合い、
かなりしてからその彼とFABというGnarly(この場合は危険という意)なブランドをスタートさせた。
そのブランドのアップアンドダウンがあったりもしながら、
ロイは初めて会ったときと何も変わらなかった。
(9年前のハービー・フレッチャーとロイ、私)
で、その18年後の2007年には、
私とロイが、ハービー・フレッチャーを巻き込んで、
NAKISURFオリジナルデッキパッドである『Zパッド』を制作し、完成した。
(正式名称は「Zライダー・ストンパッズ」)
これらのパッケージアートのグラフィック全てをロイが担当し、
デッキパッドデザインは、
ハービー・フレッチャーという伝説の布陣である。
(Zパッドは、第二期まで生産されたが、ほぼ売り切れてしまった)
ロイはこの後、
2011年にサンクレメンテの中心に大きなアートストア
『ART SUB KULT』をオープンし、
全ては順調だと思っていたが、
このアートストアの出資者が、健康上の都合で閉店することとなり、
そのことに少なからずショックを受けたロイは、
インドネシアのどこかに隠匿した。
「食事はおいしく、波は温かくて、人はやさしくて笑顔で最高だぞ」
ロイはそんなことを言っていたとコールから聞いた。
ちなみにコールとロイの関係はとても深く、
コールの最初のサーフショップである
『サーフスポット』を引き継いだのがロイで、
彼らは、
少年時代も一緒に過ごし、
リトルリーグでも同チームだったという。
(アーチボルドも)
『ラリー・バートルマン』
波の位置、ボードの角度、スタンス場所、
ラリーのシャカサインのポーズ、そして表情を見て欲しい。
グッドサーファー、怪波乗人たちから絶大な支持を得て、
さらにはハービー・フレッチャーが、
ありとあらゆる勝負機会にロイを起用していることでもわかるだろう。
クリスチャンの有名すぎるこのロゴデザインもロイの作品である。
そんな波と気候、人、建物、食べもの、
カルチャーに恋をするようにサンクレメンテの全てが好きになり、
その気持ちに浮かれたままボクは、
ロスアンジェルス空港から成田を目指すべく、
バリグ・ブラジル航空に乗り込んだ。
「さらばサンクレメンテ、また来るぜ」
願うような気持ちで、ボクは空の人となっていった。
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(続く)
冒頭のジョージ・トリムの予告編です。
これだけ作りこまれたサーフムービーは珍しい。
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