8770kmの空の旅_夏日本回想記_(1516文字)
12時間前の成田空港。 日本からロスアンジェルス。 8770kmもある遙かなる太平洋の向こう側。 約4万キロで地球の赤道周囲の距離だというから、 この路線だと2往復とちょいで地球一周となる計算をしていた。 片側4〜6車線もあるフリーウエイが見えてきた。 海の向こうのちょっとした都会。 日本と緯度がほとんど同じなのでこちらも真夏。 こちらの夏は乾季なので、雨などは決して降らない。...
View Article波や場所を自分で選択するハピネス_ロック魂サーフィングの勧め_心に刻んだIn The Wind_(1868文字)
Nation “Sonic Boom” 5’7″ おはようございます。 昨日はロスアンジェルス国際空港からサンクレメンテ。 オフィスで荷物を整理してまた大雨ロスアンジェルスへ、 という合計4時間半の強行移動だったので、 撮影クルー指定ホテルに到着したら陽が暮れて、 気絶するように睡り、気づいたら朝になっていた。 ホテルの窓の外はLAダウンタウン。 日本領事館まで歩いて行ける都市部。...
View ArticleNALUからの昔話_真実のロングボーディング_昔話_(1400文字)
この号よりNALU誌は新編集長となり、たくさんのページに参加させていただいた。 いつものように抱井さんの連載コラムがあり、 文末には日本のロングボードシーンへの危惧がこう書かれていた。 「淀みのないゆるやかな曲線でつながったロングボーディングを忘れないで欲しい」 実際にサンオノフレで日本やブラジルから来た(ハイパフォーマンス)ロングボーダーを見かけるのだが、...
View Articleミラーズで40年前のシングルフィンの夜明け_ノーズが分厚くフル加重でき、重量があるので加速度的に波の下に降りる_1975年=昭和50年のいろいろ_(170...
こんにちは、いかがお過ごしですか。 すっかりと九月ですね。 こちらはレイバーデイという三連休でした。 このレイバーデイでアメリカは夏の終わりを告げて、季節は秋となっていきます。 サマータイムが終われば暦は冬。 そんな季節が変わる大きな日。 海に目を向けると、ブイ計測でのメインうねりの高さは変わらず、 うねり角度が昨日から3度変わった。 たった三度、...
View Articleオジーとコスタリカ_フィルム時代のカメラ機材_ドリーム・クラッシャー広告_ウエイブガーデンを日本に!!_(2002文字)
昨日の話だが、 朝起きてインスタグラムを開くと、 オジー・ロング(違、悪)というアイロニーのオジー・ライトがこのポストをしていた。 この作品を見た瞬間にやはり彼こそがオーストラリアのウナクネ師範だと確信し、 その旨のコメントを入れ、自分(nakisurf)でもリポストした。 http://www.nakisurf.com/blog/naki/column/column-05...
View Articleノースタイガーの虹波_奄美回想編_Dセンパイの”ギャラクティック奈落の滝落とし”_グリーンヒルさん詳細_(2530文字)
千葉北ノースタイガー(北東浪見)の虹波。 無風&無人セッション。 ちょうどJetアキラが波に乗っている。 フォードアーズみたいな波質でした。 □ 【奄美回想編】 干潮時のアマミアン・バックドアに向かうクレアとカイラ。 こんなゴツゴツの岩の上で波は崩れているのですよ。 その奄美式バックドアのパーフェクション。 こうなってくると、世界クラスの波で、...
View Articleソルトクリーク_ブルース・アイアンズとジョンジョン・フローレンス_日本最終日の回想_計り知れない宇宙の大きさ_(1552文字)
Salt Creek, Dana Point 3ft at 12s WNW (281°) 昨日のうねり間隔が16秒だったので、 一日で4秒もの単位を下げたうねり群は、 この近辺ではソルトクリークが最もうねりを受けていて、 頭からオーバーヘッド。 トレッスルズはセットで腰、たまに胸程度だという。 夕方はさらに小さくなってしまった。 □ IMG_7028.mp4 Video by John John...
View Article【サーフ歴史編】ハービー・フレッチャーのミッドレングス、またはロングボードの勧め_1965年のパイプライン動画_(1839文字)
1948年(昭和23年)に生まれたハービー・フレッチャーは、 9歳(1956)のとき、サーフィングを始めた。 彼はこのフレーズ 『The Thrill is back!』があまりにも有名だろう。 これを1970年代に掲げ、 今もそのスローガンでサーフィングをプッシュし続けている。 なぜその時代に彼がそう言ったかについては、 ショートボードブームが起因している。 ロングボードから始まったサーフィング。...
View Article難解な夢に見るハッピーサーフィン思想_昭和の風呂でストーンウオッシュ_ブライアン・ミラーとハッピーサーフ_(1771文字)
Photo by Brian Miller Nation The Pink Champagne on Ice 6’11” (single fin) 起きる前に長い夢を見ていた。 その内容を先ほどまで覚えていたのだが、 いつものようにすっかりと忘れてしまい 昨日の食事を電子レンジで温めているときに突然全てを思いだした。 それはこうだ。 私がTVに出て話している。...
View Article[プチ・テクニック思想編]マンライの語源とその意味を探る_(888文字)
2年前にディーゼルさんで個展をやったとき、 キュレーターの犬帥(けんすい)さんは、 『マンライ(満足ライディング)』という展示名にしよう! そう断言した。 『マンライ』。 私の好きなコトバのひとつであります。 元々は、 日本のソウルサーファーの始祖オガマさんとカカイさんが言い始め、 使用方法としては、 お二人が駆使される千葉弁が最も正式なもので、 「これはマンライだっぺ」 「マンライだね」...
View Article写真家はオモツライ_2002年コスタリカ於_ピルグリム サーフ+サプライでMr.Piguさんと五十嵐さんと大瀧詠一さん_(1926文字)
自分の前にこの写真が突然現れた。 ずいぶん前だろうけど、 すでに今現在大好きなターンであるカービングスラッシュをしている。 いつの時代かと調べてみると、 2002年6月、コスタリカ。 すでに14年近く経過している。 とすると、 私は35歳で、カイラは5歳で、ノアは3歳のとき。 Cole HPS 5’10” 2002 June これは、サーフファースト(廃刊中)とUSサーファー誌の取材で、...
View Article千葉ノースタイガー(北・東浪見)の昔と今_岡野教彦さん_グッドフライデー_(1870文字)
サンクレメンテに戻ってきてバタバタしていたが、 カメラに入ったままのCFカードを出して、 アップロードすると、こんな写真が出てきた。 The North Tiger, Chiba 雨に煙るノースタイガー、 つまり北東浪見を俯瞰したものだが、 手前の短い堤防から右側が東浪見、 中央の長いものがノースタイガーとサンライズを分けるもの。 成田に出発する前日にここでサーフしていたら、...
View Article私波乗歴史_前編_(2225文字)
波に乗る、つまりサーフィンを知り、 実際に波に乗ってみたら人生が変わり、 50歳を越えて、なおまだその希求は増している。 波乗り、つまりサーフィンが、 サーフィングになり、波乗道になり始めてからのイロイロをここに記しておくことにする。 また例によって長くなるのもあれなので、 それはいつかに譲るが、ここに簡単に書いてみることにする。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 波に乗る以前...
View Article私の波乗りの歴史_第2編_サンクレメンテ近況_(3022文字)
昨日書いた 前編からの続きです。 http://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/70203 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ホンセンに そのシブヨセンを無事に通過した私は、 念願のホンセン(本戦)に出場資格を得た。 これは日本のどこかに予選を通過したサーファーたちが集まって、 それぞれの年齢別の日本一を決定するというのである。...
View Article私の波乗りの歴史_第3編_(1828文字)
昨日、一昨日からの続きです。 私の波乗りの歴史_第2編_サンクレメンテ近況_(3026文字) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー バリの波に乗る 湘南、千葉、静岡、新島でサーフしてきて、 さらに違う波に乗りたいと感じるようになってきた。 そんなとき、無料でバリに行けることになった。 なぜ無料かというと、 バリグッズを売る社長と一緒にバリのクタという街に行って、...
View Article私の波乗りの歴史_4、ハワイ編_(1728文字)
続編、第4弾です。 私の波乗りの歴史_第3編_(1828文字) ーーーーーーーーーーーーーーーーーー ハワイの波に バリの大波を経験したボクは、 少しでも波のサイズが上がると、 鍛錬の一環として長いサイズのサーフボード、 ミニガンに乗るようになってきた。 このボードをシェイプしてくれたブルーワー・ナガヌマサーボードの下重さんが、 「バリの波に乗っただけで浮かれている君は、...
View Article【佳境の特大号】私の波乗りの歴史_5編_ノースショアはサーファー神話製作場_(3888文字)
今日は第5編目です。 初ノースショアで、全てに思い上がっていたボクは、 サンセットで、 ハワイの波乗りの神さまにこってりしごかれていた。 私の波乗りの歴史_4、ハワイ編_(1728文字) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー フィットハウス。 この当時 ーーきっと今もそうだろうがーー サーファーにとってのノースショアは、 ドラゴンボールでの”カリン塔”であり、...
View Article私の波乗りの歴史_第7編_パイプラインの波_(2169文字)
第7編です。 私の波乗りの歴史_第6編_(2908文字) ーーーーーーーーーーーーーーー パイプラインの波 パドルアウトすると、 ボクと7’6″ガンは左から右への流れがすごく、 一瞬でエフカイ側まで行ってしまった。 それは想定内なので、 そのままその泡群を無心で突き抜けていた。 ハワイの滞在も2ヶ月となったので、 気力体力、そして日焼け共に充実していた。 インサイドセクションでラインナップすると、...
View Article私の波乗りの歴史_第8、9編_トム・カレンさまのラニアケア_(1722文字)
第7編からの続きです。 私の波乗りの歴史_第7編_パイプラインの波_(2169文字) ーーーーーーーーーーーーーーー ワイメア編 これはまとめるとき、 またはいくつかの出版案をいただいたので、 そのときに詳細を書きます。 私の人生を変えた波でもありました。 ーーーーーーーーーーーーーーー トム・カレンさま パイプラインの波を乗ったボクは、 少しというか、かなりいい気になっていた。 タウンに行って、...
View Article私の波乗りの歴史_第10編_凱旋帰国_(2396文字)
第9編まで書きました。 ハワイから帰ってきたボクは、 8か月後に控えるシーズンに向けて、 野菜市場での肉体労働的な高給バイトに明け暮れていた。 ハワイに行ったおかげで波乗りのスタイルが変わり、 例えば大きな波に巻かれたときは、 より長く海中にいるようにしたり、 パイプラインやロッキーポイントの波感覚を持ちながらサーフしていた。...
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